U 標的の制服-1
・・・千章流行・・・
SDカードの持ち主であった男を知る為に、時間軸は一時過去に戻る事になる・・・
「火事場の千章」、それが少年時代のあだ名である。
正確には「火事場の馬鹿力の千章流行」である。
その男は常日頃から、全てにおいて平均程度に自分の力をコントロールしていた。
決して他人の注目を浴びる事無く、それでいて他人に侮られず馬鹿にされない程度に。
類稀な優れた能力を秘めながら日々を無為に過ごしていた。
それを必要に応じて出し入れする。
それを知らない第三者から見れば、「運のいい奴」と言う程度に見えるであろう。
それがトラブルにつながらない程度に、上手くコントロールして生きて行く。
それこそが、少年が成長するにつれ身に付けた「処世術」である。
「すぐれた人間は、時として疎まれる」
成長するにつれて、それが彼の生き方の根底となっていく。
それでも時折、「火事場の千章」の顔が見え隠れする事もある。
必要であれば、「本気」になれば良い。
そんな窮屈な生き方を少年は選び成長していく。
少年から青年に、そして成人し社会へと出て行く。
1993年、千章流行23歳
商社に就職した年の夏、突然の不幸が23歳になった千章流行を襲う。
両親が高速道路上で、後続トラックに追突され死亡。
事故を起こしたトラック運転手、藤岡明も意識不明の重体であったがその後病院にて死亡が確認された。
数ヶ月後欲しくも無い両親の保険金が支払われる。
ひとりで住むのには広すぎる建物に広大な敷地。
千章の実家は地元の名家で、大変裕福な家庭であった。
しかしその想い出深い家屋敷も、相続税の支払いの為に手放す必要が出てくる。
いっその事・・・、千章は引き継いだ全ての資産を売り払い現金化する。
人生をリセットする為に・・・
評価額は10桁に迫る勢いであったが、相続税等々諸々の諸経費等を清算すると3分の1程度になっていた。
それでも20代前半の青年の口座には驚くべき残高が記帳される。
しかし、元々浪費や散財が嫌いな性格だったので、生活レベルに全く変化は見られなかった。
・・・価値観・・・
その反面、自らの価値観に準ずるものには手間暇や金銭を惜しまない一面もあった。
就職した会社にも、両親の喪に服した後復帰し変わり無く仕事をこなした。
緩やかに時が流れ始める。
私生活も仕事も順調であった。
この間唯一の変化と言えば、車を購入した事くらいか?
購入した車はイギリス車のロータス・エリーゼ。
幼少期より「美しいもの」が好きだった千章であったが、1995年にフランクフルトモーターショーで発表された、ロータスエリーゼに一目惚れする。
因みに、その出自は当時のロータス株主であったブガッティの会長ロマーノ・アルティオーリの孫娘の名前「エリーザ」に由来しているらしい。
その孫娘が車名同様に「美しい」かは、さだかではない。
3年後の冬、並行輸入車のエリーゼを手に入れる。
もちろん自らが働き得た賃金のみでの購入である。
時に1998年、千章流行28歳の事である。
普段通勤では公共機関を使用する千章ではあったので、エリーゼは休日の夜間のみ極力人目に付かない様に乗っていた。
元来目立つ事や変化を嫌う性格ではあったが、それ以上に「美しいもの」が好きであった。
流石に安アパートの青空駐車場に、エリーゼを駐車する訳にも行かなかった。
馬鹿げてはいたが週末の限られた時間のみに乗る車の為に、地下駐車場付の駅前マンションを購入した。
ここで初めて亡くなった両親の遺産に手を付ける事になる。
・・・暗転と静寂・・・
再び時が流れる・・・
2000年初冬
千章は某病院にて精密検査を繰り返し受けていた。
原因は、以前から時折悩まされていた頭痛。
診断の結果は予期せぬものであった。
「脳動脈瘤」が発見されたのである。
医師の見解によれば、日常生活においてほとんど支障の無い範囲であるらしい。
「セックス」を含め極端に激しい運動でなければ問題は無い。
もっとも望ましくは常日頃から規則正しい生活を送り、極端なストレスやアルコール等の刺激物も控える事が望ましいと付け加えられる。
そして少なくとも半年に一度は必ず、「動脈瘤」の大きさの変化を確認する検査をする事を義務付けられる。
この検査結果次第によっては、手術の必要性が生じる恐れがあると言う事。
動脈瘤は、手術が非常に困難な位置にある事。
手術後は、場合により長期のリハビリが必要性になる事。
いくつかの不安要素が、担当医師より明瞭に説明される。
要は危険性が迫るまでは「要観察」が、おすすめと言う事か・・・
それ程悲感に暮れはしなかったが、安心できる状況でもないようだ。
「残りの人生?」を充実させるべきなのか・・・
千章は思い悩む。
時に1999年、千章流行29歳。
医師からの注意点は特に問題は無かった、元々煙草も吸わずアルコールもほとんど摂らず、刺激のある食物も好まない食生活だったからである。
しかし仕事面において、「過剰なストレス」は避けられない。
数ヶ月悩んだ後、千章30を迎えて決断をする。
生きて行く為の蓄えは十分過ぎるほどある。
もっともそれは、亡くなった両親より譲り受けたものではあるが・・・
ここで人生をリタイアする自分を、「両親もきっと許してくれるであろう」っと。