かくれみのの成立-2
ごく自然に触られたいなんて思った自分の思考に驚いて、止まっていた足を教室に向けて動かした。
自分の気持ち。
これが何なのか分からないほどバカじゃない。
でもこんなこと信じたくないし認めたくないから、なるべく近寄らないようにしてる。
普通に考えたら気持ち悪いもん。
好かれようとは思ってない。
ただ嫌われたくはない。
でも本田は自分が俺に嫌われてると思ってる。
だったら、いっそそう思われていた方がいい。
本田は人気者だ。なのに俺のせいで変な噂がたったらそれこそ一生嫌われてしまう。
好かれてるなんて噂より嫌われてるって思いこみの方が、本田の為だ。
*****
その日の放課後、みんなと下校時間をずらすべく用もないのに図書室に向かった。
下駄箱に手が届かない瞬間を目撃されること、女子に絡まれること、何より本田に出くわすのをせめて朝だけにしたかったから。
室内は全く無人じゃなかったけど、あほみたいに俺をからかうような人種もいない。
ここで宿題やって、部活終わりの下校ラッシュに巻き込まれない程度の時間になったら帰ればいいか。
風の抜ける窓際の席に腰かけてノートを開いた。
外から聞こえてくるのは運動部の掛け声。
金属バットの乾いた音。
それから水泳部の―――
水の跳ねる音につられてプールの方に目をやると、今まさに本田が水面に向かって飛び込むところだった。
部員全員ほぼ同じ競泳水着にゴーグルをつけているというのに、それが本田だとすぐに分かってしまう自分に心底うんざりする。
でも目は離せなかった。
均整のとれた逆三角形の身体は俺がなりたいものそのもので、自分の貧相な身体を思い浮かべると惨めになる。
同じ年に産まれて同じ時間生きてきたのに、何でこうも違うんだろう。
体つきだけじゃない。
うまくみんなをまとめられる統率力だってあるし、誰にでも優しいから人望だってある。人を悪く言ったりしないし、誰かを妬んだりもしない。
―――俺みたいに。
これも本田を避ける理由。
特別な感情を抱いてる反面、どうしようもなく憎らしく思う時がある。
本田は自分と違いすぎる。
身体だけじゃなく心まで小さい自分が情けなくて許せなかった。
いいな。
俺もあんな風になりたいよ。
でも俺は本田にはなれないから、せめて本田の隣に対等な関係で並びたい。
助けられるような立場じゃなくて、同い年の男として…
コンコン
手元に響く小さな物音。
向かいの席から伸びてきたシャーペンが開いたままの俺のノートを軽く叩く。
そこには
『本田を見る目がハートになってる』
と書かれ…
「!?」
慌てて顔を上げると動揺する俺とは対照的な無表情の女子が座っていた。
「あ、雨宮…さん?」
同じクラスの奴だ。
美人だけど特に誰とも打ち解けようとしない、ちょっと浮いた存在。
当然、俺も話すのは初めて。
ていうか。
「人のノートに落書きするなよ」
必死に動揺を抑えて文字を消すそばから、躊躇なく空いてる所に文字を走らせる。
『バレバレ』
「…意味分からんし」
こっちは口で答えてるのに、雨宮はシャーペンの動きを止めようとしない。
『顔が赤い』
くそ、消しゴムが追い付かない。
「別に、暑いだけ」
『何その言い訳』
「だから落書きするなって!!」
苛立って声を荒げたとこでここがどこだか思い出して、静かに睨みつける真面目な学生たちにぺこりと頭を下げた。
コンコン
再びシャーペンの音。
ノートには一言。
『うるさい』
誰のせいだ!
荷物をまとめて急いでその場を離れた。
なんなんだよ、あの女。
バレバレ?
何が。
俺は別に――
「認めたくないだけでしょ」
「!!」
すぐ後ろに雨宮がいた。
「気配消すとか、ストーカーかよ」
嫌悪を込めた嫌味を言ってみたけど。
「あたしに気づかないくらい動揺してたんだ」
無表情で図星をつかれてそれ以上言い返せない。
こいつには何を言ってもごまかしがきかなさそうだ。
「どうしたいんだよ」
「どうって?」
「脅す?」
「は?」
「ばらされたくなかったら金持ってこいとか言うの?」
数秒の沈黙の後、雨宮は重々しいため息を吐いた。
「こんな言い方失礼かもしれないけど、あたしんちそこそこ裕福だからお金には困ってない」
「なっ」
悪かったな、貧乏サラリーマン家庭で!!
「じ、じゃああれか!自分の代わりに宿題やれとか」
「何で学年上位のあたしが中の下のあんたに宿題やらせなきゃいけないのよ」
くああああっ
やな奴!
やな奴!
やな奴!!!
美人で金持ちで頭がいいだぁ?
人に妬まれる三大要素持ち合わせやがって。
しかも俺より背が高いからリアル上から目線だし!
「少しは自覚して注意しなさいよ」
「は?」
「ばれたらどうなるかくらい分かるでしょ?」
「…」
分かるよ。
晒しもんで変態扱いで、学校になんかいられなくなる。
本田にだってもう―――
「雨宮」
「言わない」
「へ?」
「気を付けろって言いたかっただけ。最初から言いふらすつもりなんかないから」
「あ…、ありがと」
「どういたしまして」
本当にただそれだけのようだ。
呆然と立ち尽くす俺を完全に置き去りにしてさっさと帰って行った。