『冬に至るまで』-2
(そんなに泣くなら、見舞いももっと行けばよかっただろ)
子供のように感情を剥き出しにして泣く母親の姿に、僕は嫌悪さえ感じていた。
そんなことはお構いなしに、妹は続けてきた。
それによると、妹の方は中学に電話が来て、そこから直接来たらしい。
そう言えば、百合は制服姿だった。
「それでね、私がこの部屋に来た時には、お父さんの意識はもうなくて・・・私、何もできなかった・・・ただ・・・ただ、見ているだけだったよ」
そこまでいうと百合は、声を殺すように泣き出した。
僕は彼女の手を引き、その部屋を出た。
部屋の空気の重さに、僕も妹も耐えられそうになかった。
「私・・・何も・・・」
妹の涙は止まりそうになかった。
妹は、父親が死んだことよりも、死につつあった父親に自分が何もできなかった、ということに対して泣いているように見えた。
「百合が悪いわけじゃないよ。誰にも、どうしようもないことが、世の中には在るんだ。誰も・・・誰も悪くないんだ。」
僕は妹の肩に手を置き、妹と、僕自身を慰めた。
食道ガン。
父を殺した病名である。
検査を受けた時には、既に末期だった。
毎日毎日、身体に無理な生活を送っていたから、分からないでもないが、病院で告知された時、母は眩暈を覚えたそうだ。
僕はといえば、
(ドラマみたいな事が世の中にはあるもんだな)
とか
(保険に入ってるって言ってたから、とりあえず大学は行けるか。)
などと薄情なことを考えていた。
要するに実感がなかったのだ。
父親の病名を知らされたのは5月に入るか入らないかの時期だった。
高2になったばかりの僕は、突然、部長に任命された。
「部長たって、たいした仕事はないよ。」
そう先代部長は軽く言ってくれたが、人数は多いし、個性的な奴ばかりだし、そんなに軽く考えられる代物ではなかった。
ただ、副部長弥永を始め、しっかり者の執行部に囲まれていたため、心配自体はしていなかった。
所属するジャズオーケストラ部は、コンクールでもまぁまぁの成績を残す実績を持ち、お祭り好きな僕の学校ではかなり歓迎された部でもあった。
新入部員も入り、コンクールまでも時間がある。のんびりと後輩を育てるか、という矢先に父親のガン宣告。
世の中は巧くできている・・・とでも言うしかないのだろうか。
家族3人で、入院している父親にガンを告知するか話すことになった。
いわゆる長のいない家族会議。
「どうする」
母親は疲れた口調で言った。
仕事帰りのためであろう。
両親は共働きだった。
父親は、母親が仕事を続けることを前提に結婚したらしい。