『星空の下で逢いましょう』-2
酒で体をこわして、医者の不養生と言われるのも不本意である。
明日は肝臓を休めることにしよう。
二階へ上がる階段はどこまで行っても階段で、何故かおちょくられている気分になった。
こんなことならエスカレーターにしておくんだったと、ほろ酔いの僕はくだらない冗談を考えていた。
子どもと暮らすことを見越して二階建てにしたつもりが、のちにはすっかり無用の長物となってしまい、そのまま空き部屋にしておくのも勿体ないので、一室を自分の趣味の部屋にしてみたというわけだ。
天体望遠鏡もそこにある。
奮発したと言えるほど高価な買い物でもないが、それでも十二等星まで見れるというから驚きだ。
これもまた自分の身の丈に合ったグレードであれば十分なのである。
初心者そこそこのドライバーがロールスロイスを運転したって、そんなものはほんとうの道楽とは呼べない。
どうにかこうにか部屋までたどり着くと、そいつは僕を待っていた。
白と黒だけのシンプルなフォルムもどこか洗練されていて、これに目鼻や笹の葉でも付け足せば、パンダよろしく愛嬌たっぷりの姿になることだろう。
餌代がかからない分、こちらのほうが長く付き合えるというわけだ。
天体望遠鏡のメンテナンスと言っても、表面の埃を軽く拭き取るだけである。
今までいくつの星空を駆け巡っただろう。
少しだけ覗いてみようか──。
そんなふうにカーテンを開け、部屋の明かりを消したときだった。
ほう、と僕は感嘆の声を漏らした。
一階の窓から見える景色と相違ないが、遮るものが少なくなったことで、宇宙空間をぐっと近くに感じることができる。
やはり二階建てにして正解だったと、先ほどまでの考えを早速あらためた。
そこから不意に視線を落としていくと、密集した家屋のあちこちに明かりが見えた。
自分の家が高台に建っているということもあり、この時刻には街の素晴らしい夜景が一望できるのだ。
携帯電話のディスプレイは、二十一時とちょっとを示している。
妻はしばらく帰らないだろう。
泊まりになるかもしれないとも言っていた。
ふとして、全身に流れる血潮を感じた。
覗くつもりはなかったと言えば、嘘になるだろう。
気づけば僕はファインダーの狭い口径に視線をあて、対象物をそこにおさめていた。
十字線の入ったレンズの先に、暗がりに浮かぶ住宅街の明かりが見える。
マンションに至ってはカーテンを引いていない部屋もあり、これでは住人の営みが丸見えである。
オートロックだとか、防犯通報システムだとかいう以前の問題だ。
そんなふうに目のやり場を探っていくと、ファインダー越しに可愛らしい内装の部屋が見えた。
目がちかちかするほどカラフルに彩られたそこに人影は見当たらないが、明かりが点けっぱなしになっていたので、そのうちに住人があらわれるだろうと思った。
マンションの高層階だという安心感から注意力が散漫になり、カーテンを引かない習慣が身についてしまったのだろう。
僕はファインダーから目を離し、今度は望遠鏡を覗き込んだ。
少女趣味な部屋の細部までがさらによく見えた。
子ども部屋というより、思春期の匂いのする『花園』と表現してもいい。
どくん、と心臓が高鳴った。
他人のプライバシーを盗むという異常な行為が、モラルの殻を突き破って僕の手足を操っていたのである。
固唾を呑み、見守った。
やがて望遠鏡の向こうで動きがあった。
ドアが開き、誰かが部屋に入ってきたのだ。
あらわれたのは若い男だった。
倍率を絞った光学レンズで追っていくと、男はいそいそと窓の外を窺う様子を見せ、直後にドアを振り返った。
ふたたびドアが開いて、別の男に連れられた女子高校生が入ってきた。
どこの学校の制服かまではわからないが、おそらく放課後の時間を繁華街で潰してきたクチだろうと思った。
男二人は大学生くらいに見えるが、ちゃらちゃらしたふうでもなく、どちらもこれと言った特徴のない顔をしている。
冴えない人相と言ったほうがいいかもしれない。
歓迎ムードさえもないまま、さっそく男らが女子高校生を口説きにかかっている。
部屋に入るなりそれでは、靡(なび)くものも靡かないだろう。
そうやって呆れ返っていたら、なんだか水が飲みたくなってきた。
血中のアルコールを薄めたほうが良さそうだと思った僕は、一階へ下りてミネラルウォーターをがぶ飲みした。
生命力が全身にみなぎり、若干、目も冴えた。
まさしく命の水である。
それにしても、と僕は先ほどの軟派な光景を思い起こしていた。
もし自分に子どもがいたとしたら、今頃は、あの女子高校生くらいの娘と一緒に暮らしていたことだろう。
ただ、どこの馬の骨ともわからぬような連中と付き合うのだけは勘弁してもらいたい。
思春期だとか反抗期だとかいう言葉だけでは片付けられないことが、世の中にはたくさんあるのだ。
一時(いっとき)の過ちで一生を棒に振るなと、現代の若者たちに言ってやりたい。