『フラゲに注意』-1
この春に引っ越したばかりということもあって、俺の部屋には洗濯機がない。
だがしかし、仕事をすれば汗をかき、洗濯物は果てしなく量産されていくのだ。
もちろん、身のまわりの世話をしてくれるような恋人もいない。
これについては俺自身の性格に問題があるのか、それとも世の中の女性陣に見る目がないのか、それこそ徹底的に検証する必要がありそうだ。
──とまあ、それはさておき、着替えの残りも底をついてきたので、引っ越しで使わなくなった段ボール箱に汚れた衣類を入れて、さっそくコインランドリーに向かった。
もちろん徒歩である。慣れない土地では徒歩が有利なのだ。
そんな俺の強がりを知ってか知らずか、軽快なスピードで走り抜けていく車の窓に、きれいなお姉さんの澄まし顔が見えた。
『かっこいい愛車』と『自慢の彼女』、二兎を追い求めた欲張りな俺は、文字通り、未だに一兎をも得ることができないでいる。
なぜだか無性に負けた気がして、俺は歩くペースを少しだけ速めた。
携帯アプリのナビゲーションで調べた通りの場所に、その店はあった。
自動ドアをくぐり、地べたに段ボール箱を置くと、空いている洗濯機がないかと店内を探し歩いた。
残念ながら、すべて埋まっている。
なんでだよう──という情けない顔をした二十二歳の自分が、洗濯機のガラス面に映っていた。
待つことも考えたが、気が小さい俺は不審者と間違われるのが嫌だったので、別のコインランドリーを探すためにそこを脱出した。
外はさっきよりも日差しが強くなったような気がする。そして右も左もわからない。
ロールプレイングゲームで新しい大地を踏みしめたとき、俺はいつもこんなふうに高揚した気分を味わっている。
未知との出会いに期待をふくらませて、興奮した笑みを浮かべるのだ。
気持ちが悪い人だと思われようが、それが俺という人間なのだから仕方がない。
それにしても荷物が重い。若干、自分のライフゲージが減ったと感じたので、自動販売機の炭酸ジュースで一息つくことにした。
段ボール箱に腰かけながら休憩していると、すぐそばの路地から若い女の人が出てくるのが見えた。
ショートパンツの似合う美脚の持ち主で、顔もめちゃくちゃ可愛い。
二十二年間恋人のできなかった俺は、こういう都会育ちの女の人に免疫があるはずもなく、あっさりと一目で惚れた。
コミカルに瞳をハート型にさせているのならわかりやすいが、こういうときの自分の顔がむっつりしていることを俺はよく知っている。
小さなショルダーバッグと紙袋を提げた彼女は、路上駐車してあるコンパクトカーに乗り込むと、ウィンカーを出しながらゆっくりと走り去った。
そういえばどこかで見たことがあると思ったら、さっき俺のことを追い抜いて行った車じゃないか──。
不思議な直感がはたらいた俺はしゃきっと立ち上がり、たった今彼女が出てきた路地へと入った。
好きな女の子の行動パターンを把握しておきたいからだ。
そんな俺の目に飛び込んできたのは、何の変哲もないコインランドリーだった。
そのほかに店らしい店は見当たらない。
もっとこう、なんていうのかなあ、おしゃれなカフェだったり、憩いのパン屋さんみたいなのを想像していたのに、ちょっぴり裏切られた気分だ。
がっかりした俺は、その場で回れ右をして退散することにした。
──って、おいおいおいおいおい、待て待て待て待て待て。俺はこのコインランドリーに用があるんだよ。
ぎりぎり思い出せて良かったあ──。
我ながらパーフェクトなノリツッコミが決まったところで、上機嫌なまま入り口のドアの前に立った。
そこには、『防犯カメラ作動中』のステッカーが貼られている。
そして中に入るとすぐに洗濯機全台を見てまわった。
ほとんどが使用中だったが、奇跡的にも一台だけ空きがあったので、俺はようやく何日か振りの洗濯を果たすことができた。
努力の汗と涙が染み込んだ衣類を適当にドラムに放り込み、かなり適当に洗剤を投入して、適当なスイッチを押せば完了だ。
そこで、ふと思いついたことがあった。
今朝、携帯アプリで検索したときには、こんな場所にコインランドリーなんてなかったはずなのだ。
念のためにもう一度だけ検索してみると、やっぱり現在地付近には検索対象のアイコンなど出ていない。
はてな?と思いつつも、マガジンラックから一冊の少年誌を手に取り、生あくびをしながら椅子に座った。
ガタゴト、チャプチャプ、ピーピー。
呑気な音が聞こえている。洗剤やら柔軟剤のいい匂いがするし、間の抜けた漫画もなかなか面白い。
土曜日の午前中をこうやって過ごすのも悪くないなと思えてくる。
だめだ……確実に眠い……レアモンスターの……特殊能力が……発動されたみたいに……体の自由が……徐々に……奪われていく……。