デネブの館-16
「ね。一応、十万円あるわ。今まで納めてなかった家賃と食費と――もう少し足りなかったら待ってもらえると」
アイは俺ににこやかにそんなことを語り始める。
テレビでの報道がされたらしく、お客が劇的に増えたのだという。
三日で一人しか来なかった客が、一日で五十人来るようになったのだそうだ。
一日で五万、月で百万は超えるだろう。
アイの機嫌のいい理由と笑顔の正体はそれかと思った。
アイは俺から開放されようとしている。俺に体を自由にさせる理由は消えたのだ。
手に持った封筒を俺は無造作にポケットに詰め込んだ。
こんなに金をもらうことが虚しいのは初めてだと思った。
「あのさ、今日は日曜だし、二人でお祝いでも――」
「俺、出かけてくるよ。お前も仕事しに行ったらどうだ? 上手く行ってるんだろう?」
何のお祝いをするというのか。
俺との関係を解消するお祝いなのか。この場に居ると、余計なことを言ってしまいそうになる。
アイはそんな意地の悪い女ではない。
そもそも客が少なすぎて収入が無いことを悩んでいて、それが解消されたから嬉しいのだ。
そして、それは解消されれば、俺と一緒にいる理由も無くなることになる。
素直に祝う気にはなれなかった。器の小さな男だと、自分でも嫌になる。
今、俺に出来る精一杯が、この部屋から立ち去ることだけだ。
「あの、夕食どうする? それまでには、戻ってくるんだよね?」
険悪な雰囲気の中、アイは俺に媚びへつらうように、作り笑顔でそう言った。
胸が締め付けられるような笑顔だった。どうしようもなく、アイが遠くにいるような気がした。
彼女との関係が、終わろうとしている。
俺はそのことを受け入れるのが怖くて、逃げ出すように部屋を出た。