Betula grossa〜出逢い〜-39
「ずっとこうしていたいけど....もう帰らないと....」
茉莉菜はそっと俺の腕の中から抜け出してシャワーを浴びに行った。
乾燥機の中の茉莉菜の服は生乾きだったので俺が用意した服を着て帰る事になった。茉莉菜を駅まで送り
「借りた服は洗濯して返すからね!それから....今日の事は忘れて....」
「えっ?」
「約束の日まで....お願い....」
「わかった....」
正直..茉莉菜の気持ちはよくわからなかったが、茉莉菜がそう望むならそうしたかった。
「ありがとう..純....」
笑顔でそう言って帰って行った。俺は茉莉菜の姿が見えなくなるまで見つめていた。
それから1ヶ月後、茉莉菜の病気が急変して10月の終わり頃に帰らぬ人になった。茉莉菜の家族は俺が数年前に流行った小説の主人公のように茉莉菜の死を引きずったりしないか心配してくれたが、幸いにあの主人公のように何年も引きずるような事はなかった。
俺はベッドに寝転がったまま天井を見上げながら
(いつから茉莉菜を想い出にしちゃったのかな....)
今では殆ど想い出さなくなっていた茉莉菜の事を久しぶりに考えていた。
冬休みが終わり学校に行こうとマンションから出た時
「純兄ちゃん!一緒に行こう!」
後ろから笑美ちゃんの声がしたので振り返ると梓さんも一緒だった。
「おはようございます!」
梓さんに軽く頭を下げた後
「おはよう!笑美ちゃん!」
笑美ちゃんに笑顔を見せた。
「おはよう!少年!今日からまた勉学に励めよ!じゃ!」
梓さんはそう言って俺達と別れて歩いて行った。
「梓さん!今日こそはミスのない一日にして下さいよ!」
「五月蝿い!そんな事はわかってるよ!」
梓さんはそう言うと走って行った。
笑美ちゃんと話しをしながら歩いていると、前から香澄さんが歩いて来た。
「おはようございます!香澄さん!」
香澄さんは大きく欠伸をして
「ん?なんだ少年か!今日から学校か?」
「ハイ!どうしたんですか?眠そうな顔して!」
「徹夜で仕事だったんだ!今から帰って寝るところなんだ!」
「大変ですね!」
「まあな!少年達も遅刻するなよ!」
香澄さんはまた大きく欠伸をして歩いて行った。
香澄さんと別れてすぐに亜梨紗が歩いて来るのが見えた。
「おはよう!亜梨紗!」
出来るだけ明るく言ったつもりだったが、亜梨紗は軽く頭を下げただけで去って行った。
「なんか暗い人だね....」
笑美ちゃんが少し不満そうに言った。
「仕方ないよ!今は進路の事で悩んでいるみたいだから....」
「ても....」
俺が亜梨紗の味方をしたのが気に入らないのか笑美ちゃんは不満を露わにした。
「俺はもう決まっているから気楽だけど、まだ決まっていない人にとっては将来に関わる事だからね!」
「でも....あの人....星聖(せいしょう)女子の制服を着ていたよ!あそこもエスカレーター式に上がれるんじゃ....」
「人それぞれだからね!ウチだってみんながエスカレーター式に上がっていくわけじゃないからね!前は笑美ちゃんのように明るくよく笑う子だったから悩みが解決すれば戻るんじゃないかな....」
「そうかなぁ....」
笑美ちゃんはまだ少し不満そうだったがそれ以上亜梨紗の事は何も言わなくなった。
「あっ!美菜お姉ちゃん!おはよう!」
笑美ちゃんが声をかけると前を歩いていた少女が振り向いた。
「おはよう笑美ちゃん!」
そう言って笑顔を見せたのは姫川さんだった。
「おはよう!葛城君!」
「おはよう!姫川さん!」
姫川さんの笑顔に俺も笑顔で返した。
「美菜お姉ちゃん!一緒に行こう!」
笑美ちゃんは俺の手を引っ張って走り出した。俺は引きずられるように姫川さんの横に並んだ。笑美ちゃんは両腕を俺と姫川さんの腕に絡めて嬉しそうに笑っていた。
俺はこの冬休みに梓さんを通して何人かの女性と親しくなった。
止まっていた恋の歯車が動き出している事に俺はまだ気づいていなかった。