H-5
彼女がこの言葉を胸に刻んだのは、十五歳の頃だ。
終戦の翌年、疎開先の長野から東京に戻った。そこで目にしたのは、異様としか喩え様の無い光景だった。
百を超える空襲によって、家が建ち並んでいた場所は、見渡す限りの焼け野原となり、最早、地図など意味を成さない。
かろうじて残る道路の両端を、掘っ立て小屋が肩寄せ合う様に軒を連ね、ルンペンや傷痍軍人らしき者が、行き交う人々に物乞いに訴える。
残っていた主要建築物は進駐軍によって接収され、米国の軍人やMP(憲兵)逹が、我が者顔で跋扈(ばっこ)する姿に、人々は唯、見て見ぬふりするしか無かった。
雛子の中で、若さ故の正義感が頭をもたげた。
「横暴だわ!頭にきちゃう」
移り住んで一月程経ったある日、彼女は我慢出来ずに、団欒の中で不満を爆発させた。
「確かに、この間なんか傷痍軍人が米兵に殴られてても、警官が見て見ぬふりだからなあ」
光太郎も妹に賛同した様に、今の在り方を慨嘆する。そんな二人を見た三朗は、いみじくも言った。
「全ては、戦争を仕掛けた日本が悪いのだ」
光太郎と雛子は唖然となった。信じられ無かった。
「あ、あんまりです!日本は、欧米支配から亜細亜を救う為に戦ったんですよ」
雛子は強い口調で反撃する。幾ら尊敬する父親とは言え、余りに思慮の無い自虐的な解釈が許せなかった。
しかし、三朗も負けじと、持論を展開する。
「お前は知っているか?米兵逹の姿を。奴らは下っ端に至るまで全員が、ピカピカの革靴を履いてるのを……」
話を要約するとこうだ。
連合国と圧倒的な力量差を有するのを認知しながら、戦いを選択した日本の指導者は馬鹿者である。その為に戦没者は勿論、相当数の尊い命が奪われてしまった。
「で、でも!」
理路整然とした三朗の言い分は尤もだった。が、雛子はどうしても合点が行かない。
「不当な理由から国連脱退を仕向けたのは米国ですよ!」
「奴らの本音は、宗主国である自分達に成り代わろうとする日本を畏れていたのだ。
だからこそ戦争を回避する方法はあったはずだ」
「お父さんは、不当な扱いをじっと我慢しろと仰有るんですか?」
「そうは言わん。少なくとも、対抗する力を持つ迄は我慢すべきだった。
敗けて、今の様に惨めな扱いを甘受せねばならんのなら」
雛子の中で悔しさがこみ上げてきた。知らず々に涙が出た。
三朗は優しく語り掛ける。
「雛子、どんな行いにも報いは有るのだ。だからこそ、立ち止まって振り返る余裕が無くてはならない」
強烈な敗戦による屈辱感が、雛子の心根にはあった。
「♪丘を越え〜てえ行こうよ、真澄いの空は朗らかに晴れてえ、楽しい心♪
鳴るはあ胸の血潮よ、讃えよ我が青春を〜♪」※1
額から汗が流れる。この二ヶ月で、焚き物作りに使う斧の手捌きも、堂に入った物になってきた。
「♪いざゆ〜け!遥か希望の丘を越えてえ〜♪」※1
──率先して楽しそうに仕事をすれば、自然と子供逹は慕い、真似する様になるものだ。
父親の様になりたいと言う、幼い頃からの夢は未だ、始まったばかりである。