勇気をもって!-1
三人寝ても余りあるほどの大きなベッド。ヨーロッパの王朝時代を思わせる豪華な造り。部屋もきらびやかだ。
そのベッドで絹の肌触りが心地よい布団に包まれて横たわっている。何も身につけていない。手脚を動かす度に滑らかな感触が伝わってくる。全身が柔らかな感覚に満ちて、漂う雲のようなまどろみがゆっくり被ってくる。
突然、気配を感じて耳を欹てる。確実な音がする。
(やっぱり来た……)
身を硬くして目を閉じ、微かな物音を窺う。忍び足の様子がわかる。
(助けて……)
体を縮めて布団に顔を埋めた。聞くまいと思っても足音は迫ってくる。
体は硬直している。声を上げることも出来ない。震えながら耐えるしかない。
足音が止まった。その直後、獣のような息遣いが間近で聞こえた。異様な臭い……生温かさまで伝わってくる。
(もうだめだ……)
ベッドが軋み、揺れた。恐怖に戦きながら布団から目を出す。
(う!)
旋律して総毛立った。日焼けして脂ぎった男が立ちつくし、見下ろしている。股間には赤黒いペニスがだらんと垂れ下がって尿が滴っていた。
(いや!いやだ!)
精一杯呻いて首を振った。
目が覚めると汗びっしょり。息も荒い。朦朧としながらも暗闇に消えていく恐怖にほっとしてふたたび眠りに落ちてゆく。
優希がこのところよく見る夢である。場面はその都度変わる。自分の部屋のこともあるし、学校の教室、近くの川の草むらだったこともある。共通しているのは彼女が裸で寝ていて、そこに薄汚れた男が迫ってくるという状況だ。いつも同じ男で、それが誰なのか彼女には思い当たることがある。
高校三年に進級した今年の春、近くの川原で偶然出くわした男だと思う。勉強の合間の気分転換に散歩をしていて何気なく分け入った葭原。人がいたことに驚いただけでなく、男は放尿していた。
「キャッ!」
咄嗟に身を翻して走って帰った。
夢に出てくるのはその男にちがいない。顔はよく見ていないし、思いだせないのだが、その風体と放尿しているペニスが頭に焼きついてしまっていた。だから夢に現れると、
(あの男だ……)
初めから特定されているのだった。
瀬村優希は有名女子高の三年。中、高一貫教育の全国的に知られた進学校で、彼女はその中でもトップクラスの成績を維持している。学力だけではない。三月までは生徒会長、クラス委員も務め、積極的で人望も厚く非の打ちどころのない生徒であった。容姿は自分では『普通』と思っているが、『明るくてキュート』と、下級生にも人気があった。
三年になると一切の委員、部活動から原則として引退することになっている。受験強化のための学校の方針なのだ。毎年多くの東大合格者を出している。優希もそのつもりでいるが医学部にするか法学部にするかまだ決めかねている。
受験に不安はないが、あの夢を見るようになって集中力がやや散漫になっていて何とも落ち着かない気持ちが続いていた。
性への興味ーーそれを嫌悪する思いはない。年齢からすれば自然なことだし、通学途中に素敵な男子を見て胸をときめかすこともある。それだけではない。そんな夜、自分の手を名前も知らない『彼』に見立ててそっと小さな胸を触ったりする。すぐにアソコが熱を帯びて潤ってくる。両脚を閉じて足先を交差させてぎゅっと組む。そして乳首を摘まみながらゆっくり捩る。左右に動いたり腰をひねったりしていると全身が火照ってきて頭がぼうっとなってくる。股はもうぬるぬるだ。息も弾んで口を閉じていられなくなる。
「ああ……」
密着した股間が粘着音を立て、思わず太ももに手が伸びて脚を開きたくなる。
「気持ちいい……」
力が抜ける……。
耐える限界が近づいた時、大きく息を吐いて一気に脚を開き、両腕を広げて大の字になる。
「ふうふう……」
呼吸が整って体の昂奮が治まるまでそのままでいる。いつもそこで終わるのだ。いや、終わらせるのだ。
「ふうふう……」
指を触れれば歯止めは利かなくなり、きっと『オルガスムス』にイキツク、のだと思う。そこまでの経験はないけど、感覚でそう思う。イッテみたい気持ちはすごくある。でも、意思が働くぎりぎりのところでやめている。なぜなのか。自分でも強い信念があるわけではない。怖さもあるようだし、いまは踏み込んではいけない世界のようにも思う。今時希少な貞操観念めいたものがーー優希にその自覚はなかったがーー根底にあったのかもしれない。
とにかく、いまやるべきことは勉強……)
体が熱くなった時、冷却水は自分の目標を唱えることだった。
いやな夢の根源はきっと抑圧された欲望なのだと彼女は冷静に分析して、仕方のないことだと受け止めていた。ただ、やはり登場する男と不気味なペニスには悩ましく感じてなかなか振り払うことが出来ない。
(頭に刷り込まれちゃったんだわ……)
おまけに放尿の場面である。
(もっとすてきな人ならよかったのに……)
優希は気を紛らすように無理に笑った。