黒の他人<前編>-2
傘を置き、黒いヒールを脱ぐと、頭を下げながら部屋へと足を踏み入れる加奈。
うつむいたまま部屋の中央まで足を進めると、
なんだか落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回していた。
「そこ座れよ? ……なんか飲むか?」
黙ってその場に腰を下ろすと、丁寧すぎるほどに足を重ね正座する加奈。
相変わらずうつむいたまま、けれど背筋はピンと伸ばした綺麗な姿勢。
その姿は、あの日の夜とは打って変わって、どこか良家のお嬢様のようなたたずまいだ。
俺は頭を掻きながら、ビールをひとつ加奈の前に差し出した。
加奈はぎょっとした目でそれを見たあと、
すぐさま首が取れるかと思うくらいに左右に振っていた。
「なんだよ?酒飲むの好きなんじゃねぇのか?」
意地悪くそんな言葉を投げかけると、困った様子でまたうつむく。
全ての引き金は酒に酔った事からはじまったのだ。
さすがにこれは躊躇いもするだろう。
「大丈夫だよ、一杯くらいで酔うほど弱かねぇだろ?」
俺がそう言うと、加奈はもじもじしながらコップに口をつけた。
そっと軽くひとくちだけ、静かにそれを喉へと流し込む加奈。
けれど、すぐまたコップを置くと、またもやすぐに黙り込んでしまう。
「……んだよ、調子狂うな?あの時みたいにもっと陽気なほうが似合ってるぞ?」
その言葉に加奈はまるで何かを思い出したのか、少し恥ずかしそうに唇を噛みしめた。
あの夜もそうだったが、どうも俺は加奈を見てるといじめたくなるみたいだ。
「あんたさ、あの日おっさん二人に連れてかれそうになったの覚えてるか?」
加奈はまるで目を剥くようにして俺を見上げた。
なるほど、どうやら夜道で会った時からすでに記憶を無くしてたようだ。
「その時さ、しきりに二十歳だから大丈夫って言ってたけど……なんか年齢にこだわりでもあるの?」
苦虫をかみつぶしたように、なんだかとてもバツが悪そうな様子の加奈。
突然、目の前のコップに口をつけると、
まるで誤魔化すように、あっという間にそれを飲み干していった。
「お?やっぱいけるくちじゃねぇか?」
加奈はハンカチでそっと口元を拭った。
随分とまたお上品なその仕草が、どうにもひっかかってならない。
俺はそんな事を考えながらもまた、そっと空になった加奈のコップにビールを注いでいった。