二の交流-3
また別の日のメールにも、私の心は大きく揺らいだ。
『メールだけじゃなくて、電話で話しませんか?』
彼からの提案だった。だけど、相手に自分の声を聞かせるのが怖かった私は、それとなく断ってみた。
『それなら、メールでセックスしてみませんか?』
彼は私に迫る姿勢を変えないつもりでいる。それはずいぶん前から心のどこかで予想していた台詞だった。
ここは大人の駆け引きに出ようと思い、私はメールの返信を躊躇うフリをした。
気持ちはすでに決まっていた。ブラジャーの中で熱を帯びている乳房も、子宮の下のあたりが愛液で湿っているのも、すべて彼に向けられたシグナルだった。
しばらく焦らしたあと、『私なんかでよければ』と彼の気持ちに応えた。
メディアに目を向けてみれば、インターネットで知り合った男女が事件に巻き込まれたという報道も、最近では珍しくなくなってきている。
それすらもほんの氷山の一角に過ぎない。危険だと知りつつ、それでも出会いを求めてしまうのは、人が本能で行動する生き物であるとしか言いようがない。
日常では味わえない刺激がそこにある。
傍から見れば、三月里緒という人妻と、千石寛という中年男の行く末なんて、まったく興味がないだろうと思う。
誰にも干渉されないというのも気味が悪いけれど、そんなネット社会に潜む闇すらも味方につけて、私は彼との疑似セックスに溺れていった。
さらに数日が過ぎた。
「なんか最近、あのサイトを退会する人が多いような気がするんだけど」
いつものファミリーレストランで、夏目由美子が呑気に言った。
「例のメール機能が追加された頃からだと思うんだけど、三月さんは大丈夫?」
相変わらず彼女のストローには口紅と歯形が付いている。
「フレンドメールで禁止ワードとかを送っちゃうと、強制的に退会させられるみたいね。お互い気をつけなきゃ」
ノブナガさんとの一件を思いながら私は言った。
夏目由美子から交流サイトの話を持ちかけられたときに、お互いのハンドルネームは明かさない約束になっていた。
だからサイト内でもプライバシーはそれなりに守られていて、自由に異性と交流することができた。
「なんか、私のフレンドでけっこう仲良かった男の人がいたんだけどね。ある日突然、退会しちゃったみたい。すごくいい人だったから、がっかりした」
「そうなんだ。ここんとこ規制が厳しくなったみたいだもんね」
「ちょっとごめんね」と言って夏目由美子は席を立った。
彼女の行方を見届けてから、私は交流サイトにアクセスした。
オリオンのメールボックスをのぞくと、一通のフレンドメールが届いていた。
送り主は私のフレンドの一人だけど、そのフレンドのフレンド、つまり友達の友達が私と友達になりたいと言っている、という内容だった。
こういうことは以前からよくあったので、私は何も考えないでオッケーを出した。
それから間もなく、一人の女の子がオリオンに接触してきた。ハンドルネームは、『ビアンカ』だった。
『はじめまして。オリオンさんのブログ、いつも楽しく拝見しています。フレンド登録お願いします』
彼女のコメントを読んだ直後に、私はビアンカをフレンドリストに登録した。
そこへタイミングよく夏目由美子がトイレから戻ってきたので、私は携帯電話をバッグに仕舞った。
「ちょっと用事を思い出したから、先に帰るね」
伝票をひらひらさせて彼女は言った。そしてスマートに支払いを済ませるその背中が遠ざかると、不思議な胸騒ぎをおぼえた。
一児のママなのに、どうして夏目さんはあんなに綺麗なんだろう。男の人からいつも注目を浴びているのも知ってる。私が男なら放っておかないのに──。
そんな思いを巡らせながら、ストローに付いた彼女の口紅の痕を、ぼんやりと見つめていた。