タイムカプセル-3
手術は施しようもなく、すぐさま抗がん剤治療と、放射線治療に切り替えられたが、僕はこれらが余計に母さんの寿命を縮めているような気がしてならなかった。
日増しになくなっていく食欲、ハラハラと抜け落ちる髪、痩せこけた頬に窪んだ目、意識が朦朧としたかと思えば突然痛みで呻き出したりなんかもした。
最期を迎える頃は、見舞いに来てくれた自分の兄弟の顔すらわからなくなっていたほど。
ただ、虚空を見つめてはカサついた唇を開き、僕の名前を何度か呼ぶだけだった。
あんなに反抗しまくっていた僕のことを呼んでくれる母さんをまともに見ることができず、カーテンの陰でこっそり泣いた。
こんなことになるなら、もっと家族と一緒にいる時間を大切にすればよかった。
いけないことだけど、母さんの晩酌に付き合ってやればよかった。
もっと自分の話をしてやればよかった。
もっと家族の思い出を作っとけばよかった。
ゼロゼロと母さんの喉で痰が絡む音を聞きながら、僕は鼻をすする音を聞かれないよう、手の甲で鼻水をぬぐい取った。
それでも医者の最後の計らいにより、三ヶ月程の入院生活の間に、たった一度だけ外泊許可が下りた。
家に帰って来ても、布団に横たわってばかりの母さんは、珍しくプリンが食べたいと言い、僕はスーパーに走った。
ついでに父さんからも色々買い物してきてくれ、と長ったらしい買い物メモを寄越されたから、思った以上に時間がかかってしまい、母さんと過ごす時間が少し減ってしまった。
それでも、夜は客間に布団を三つ並べて父さん、母さん、僕の並びで川の字で眠った。
その晩、珍しく僕は饒舌になり、今まで話さなかった友達のことや、振られた女の子のこと、しがないフリーターの将来の夢なんかをガラにもなくたくさん話した。
母さんは喋ることすらしんどそうで、聞き役に徹していたが、暗がりでみた母さんの横顔は少し嬉しそうに見えた。
そして、母さんの笑顔を見たのはこの日が最後だった。
それから三週間ほどして、病院のベッドで迎えた母さんの最期は、ボキャブラリーの貧困な僕には“呆気ない”としか言いようがなかった。
散々苦しんで痛がっていたのに、死ぬ時だけは、彼女は何の別れも言わずに静かに目を落とした。
医者が腕時計を見て、
「……分、ご臨終です」
と時間とその言葉を告げたとき、やけにドラマじみてて、とても現実とは思えなかった。