欠けたジグソー-1
夢を見ていた。
村のサイレンが鳴って有線スピーカーから津波避難命令が出た。
「私、家に行って婆ちゃんと一緒に高台に避難する」
千佳がそう言ったので、私も自分の家に行こうとした。
だが普段から避難命令が出たら真っ先に逃げて各自避難場所で集合しようと家族内で言っていたので、直接向かおうと思い直した。
千佳が行った後何気なく海洋記念館を見るとワンボックスカーがまだ止まっている。
運転手らしい人が音楽を聞きながらシートを倒して休んでいた。
他の人たちは記念館の中で見学しているのだろう。
放送が聞こえていないかもしれないし、避難場所がわからないかもしれない。
そう思って声だけでもかけて行こうと建物の中に入った。
ここは常時人がいるわけではない。案の定、受付は無人だった。
建物の中には昔の磯舟や漁具が陳列されている。
1階には誰もいなくて2階に行くと1人の背の高い外人がいた。
その横顔を見て驚いた。私は思わずカメラを出して写した。
クラスニー王子様だったのだ!
恥ずかしい。どうしよう? 声をかけたいのだけれど緊張する。
私は壁にかけてあった旧式のゴーグルを被った。
水中眼鏡という一枚ガラスの物だ。これで顔が半分隠れる。
それから黄色いライフジャケットを体につけた。
これでゴーグルとのファッションバランス?ができた。
ああ、私は何を馬鹿なことやってるんだろう? こんな変な格好して……。
けれど声をかける気分になれた。素の顔のままじゃ恥ずかしい。
私は王子様に近づいて行って、恐る恐る声をかけた。
「あのう、今これから津波が来るので逃げて下さい。わかりますか?」
「あっ、そうですか。さっきの放送がそうだったんですね。ありがとう」
「お礼なんか良いです。クラスニー王子さまですね。私、あなたの大ファンです」
「やっぱり分かってしまいましたか。どうか秘密にしてくださいね。
では車まで降りて行きましょう。避難する方角を教えて下さい」
私は王子様と一緒に階下に降りた。ところが車がなかった。
「タバコでも切らして買いに行ったのでしょう。直に戻ってきますよ」
王子はのんびりしていた。
あの運転手も音楽に夢中になって放送を聞いてなかったのだ。
私は海の方を見て驚いた。防波堤まで潮が退いている!
中学の防災授業で習ったけれど、防波堤まで潮が退けば津波の高さは10mを軽く越えるということだった。
けれどここから高台まで走っても、この先の道路が川沿いになっているから川が氾濫して津波に先廻りされる。
すべて授業で習ったことが頭の中を駆け巡った。
「王子様、建物に戻りましょう! 間に合いません」
私は王子様を促して階段を駆け上って行った。
途中窓から海を見ると海が盛り上がって迫って来る。
その海は砂を巻き上げているのか真っ黒な色をしていた。
私は3階にあったゴムボートとロープを王子に手伝ってもらって屋上まで運んだ。
ボンベの栓を捻ってゴムボートを膨らませている最中にも激しい音が迫って来る。
「ゴムボートが流されないようにロープで縛りますから、王子様はボートの中にいて下さい!」
私は大声で怒鳴った。轟音がどんどん近づいて家々の壊れる音が響き渡る。
「危ない!屋上に水が上がって来た。早く乗りなさい」
王子様は私に叫んだ。私は結び目が解けないようにしっかりと舫った。
水が腰まで来た時私の作業は終わった。私はロープを辿りながらボートに向かった。
「私の名前は尾鞍浜美紀! 中学3年生。もし私たちが助かったらお願いがあります」
必死にロープに掴みながら私は突然そんなことを叫んでいた。
「魚永市に来てコンサートをして下さい。私は必ず聴きに行きますから」
「わかった! その前に君が助からなきゃ。手を出しなさい」
後一歩のところで私の体が浮いた。その時、私の両手首を王子が掴んでくれた。
私の体は激しい流れで持って行かれそうになった。
それを必死に王子が掴んで引き上げようとする。
だが流れが強くて王子の体までがボートから飛び出そうになる。
「手を離さないと駄目です。あなたも助からない!」
私は手首を捻って王子の手を振り解いた。
あっという間に私の体は濁流に飲まれて流されて行った。
ゴーグルとライフジャケットのお陰で沈まなかったが、瓦礫が流れて来てぶつかって来る。
そして頭に衝撃を感じて……。