MY PICTURE【緑色の血管とキクチ・タケオ】-2
中華は久しぶりだ。最後に行ったのはいつだったかもう覚えていない。行き先は何となくキクチに任せたのだったが、ざわざわと活気付く店内にやけに明るい電光と装飾が落ち着かなかった。彼女は一層不安げで、ほっそりとした指を両膝の上でもぞもぞとうごめかせた。俺はそれを見て、数時間前の情事に思いを馳せる。
「モデルやってるんだ?」
「はい」
「順調?」
「最近はそこそこです」
「好きな音楽とかは?こいつはクラシカルな物ばっかり聴くけど、君も?」
「何でも聴きます。歌うのは苦手ですけど」
例のごとく一問一答形式の会話が続く。それでも少しずつ落ち着きとペースを取り戻したのか、とつとつと話続け、体も前傾姿勢になっている。それでも自ら話題を振ることは無く、一つの質問に対して5分の回答、と言う風だった。俺は何も言わず、黙って彼女の横顔を眺めていた。茶色ッ気のある瞳がしっかりとキクチに向けられる。キクチ・タケオは表情を崩さないまま、彼女が話すのに楽しげに耳を傾けていた。
写真集の製本見本が届がいたというので、俺は午前中に出版社に赴いた。
「まあ、良いんじゃない?この偏執的な所とか、メランコリックな雰囲気なんて君らしくて良いわよ?最近のペシミスティックな世相に合ってるから、君の作品は」
「どうも」
濃いめのベージュのリップがせわしなく動く。出版社勤務なのに色黒なこの女に会う度に俺は奇妙な違和感に襲われる。
「本当いうと、もっと明るくてポップな物も撮って欲しいんだけどな。君のファンは驚くだろうけど、たまにはさ。私、見てみたいのよね」
「できれば」
「はいはい。毎回それね。ついでにもう少し社交的になってくれると嬉しいんだけど」
じゃあ後日、と言って俺の担当者の女は席を立った。焦げたブラウンのような色合いのボブカットが頭のてっぺんで揺れる。俺も軽くお辞儀をしてそそくさと会社を出て行った。
俺が選んだ写真はほとんどが葉のアップだ。水滴の、緑の、葉脈の、これでもかと言う拡大。確かに偏執的ではあるな、と一人ごちながら冊子をめくると、水滴のアップの上にぱたりと雫が落ちた。
見上げると、スカイ・スクレーパーにえぐりとられた空の隙間から重厚な雨雲が覗いていた。傘は無い。俺は近くのスター・バックスに駆け込んだ。
雨はだんだんと大降りになって行きそうだった。コーヒーをすすりながら、俺は彼女
のことを考えていた。
『雨の日はピアノが聴きたくなるの』
それを聞いて俺はショパンの“雨だれ”を連想した。
今日は扉を開けても、ダイアナのしっぽりとした歌声は聞えないだろう。今日はキクチが彼女を連れて撮影に出掛けている。
「いいな、彼女。イメージぴったり」
キクチ・タケオはあの夜の次の朝、満足げにそう言った。それから、今度新しく入った仕事、彼女使いたいから一寸ばかし借りていくぜ、と言う電話があったのは2週間前だ。俺は黙って電話を彼女に渡すと、そのままベットに潜り込んだ。どうやらオーケイしたらしい彼女と、文字通り“寝て”から、彼女とは会っていない。時々汚れた食器が置きっぱなしになっていたから、何度か帰っては来ていたのだろう。
スタバの窓の外のアスファルトは激しさを増した雨でけぶっていた。ここから一番近い駅への道を、俺は頭の中でたどった。途中に小さなCDショップが有った筈だ。雨が小降りに成ったら、ショパンを買って帰ろう。