投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

庭屋の憂鬱
【その他 その他小説】

庭屋の憂鬱の最初へ 庭屋の憂鬱 20 庭屋の憂鬱 22 庭屋の憂鬱の最後へ

陸の退院-1

 両手の包帯が取れ自分の身の回りの事は不自由なく処理する事が出来るようになった。松葉杖を使えばトイレにも行ける。それが一番有難かった。チヨちゃんの密かな野望は叶えられる事無く潰えた。

 毎日訪れる翠の存在が陸を退屈な入院生活から開放してくれた。いつしか翠が陸の傍にいる時間が増えるに従い椿が陸の世話を焼く時間が減っていった。椿には陸を翠に託している節があった。

 桜姉が懲りもせず新しい見合い写真を病室に持ち込んで来た時のことである。

「桜、多分その写真無駄になっちゃうよ」

 陸と翠の関係を知っているのは今のところ椿だけである。桜は怪訝そうな顔をして言った。

「今度の話、いい話なんだけどなー。ちょっと歳は食っているけど美人だし、何より資産家の娘さんだよ。陸にちゃんと見るようにお姉ちゃんからも言ってよ」

 その気を見せない陸に業を煮やし桜は椿に助けを求めるが、椿はただ笑うだけであった。赤ん坊の時からわが子同然に育てて来た陸の気持ちが椿には手に取る様に解る。今まで一度だって本気にならなかった陸が翠に対しては本気になっている。陸が自分の手から離れていく事は寂しい事であったが、反面ホッとした気持ちもあったのである。

 病院の中庭を松葉杖で歩く陸の傍らに翠の姿がある。椿は病室の窓から二人の姿を複雑な気持ちで見下ろしていた。

 中庭がイチョウの葉っぱで黄色く埋め尽くされる頃陸のギブスが外された。あとは細くなってしまった右足を元に戻すリハビリが残っているだけである。長かった陸の入院生活も終わりを告げようとしていた。



 今ではめったに顔を出さなくなっていた椿が珍しく病室にやって来た。

「陸、先生が今週の末には退院していいって言っていたよ。そろそろ荷物まとめないといけないね」

 やっと退院が出来る。義兄(あに)の壮介に預けてある竜さんたち二人の事も気になっていた。

“これで仕事に戻れる“

少なくなってしまったとはいえ未だ結構な数の庭が正月前の手入れを待っている。とりわけ春風のお屋敷の庭を放っては置けなかった。

「椿姉さん、退院する前に大奥様のところに挨拶に行って来るよ。近頃お加減が良くなったって翠さんが言っていたから」

「そうだね、翠さんが顔を出したら一緒に行っておいで。ずっとそのままになっていたからね」

 程なく翠が陸の病室に立ち寄った。始めて陸の病室を訪れたあの日以来それが翠の日課となっていた。

「翠さん、今からでも大奥様のところにご挨拶にお伺いしたいけど、お加減は大丈夫だろうか」

「ええ、母もきっと喜びますわ」

 翠にも異存は無かった。寄り添いながら大奥様への元に向かう二人の後姿をある感慨を持って見送った。長かった陸の母親代わりも終わりの時を迎えたようである。椿にも陸の退院前にしなければならない大きな仕事が残っている。二人の姿が病室から消えるのを確かめると、椿は何かを確かめるように陸の荷物をひとつずつ片付け始めた。


庭屋の憂鬱の最初へ 庭屋の憂鬱 20 庭屋の憂鬱 22 庭屋の憂鬱の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前