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庭屋の憂鬱
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陸、大奥様の元へ行く-1

「お母様、涼風園の陸さんがご挨拶にいらっしゃいましたよ」

 由乃は椿の呼びかけに静かに目を開けた。

 陸が明るい場所で大奥様の姿を見るのは今日が始めてである。随分と衰弱してはいたが凛とした気品があった。

 翠の手を借りてベッドから半身を起こし、背筋をまっすぐに伸ばして陸と向かい合った。

「大奥様、ご挨拶がすっかり遅くなってしまい申し訳ありませんでした。やっとギブスも取れ今日ご挨拶に伺う事が出来ました」

 陸は由乃に向かって深々と頭を下げた。

「それはよろしゅうございました。事故にあわれたことを翠から聞いて心配しておりましたが、これで一安心ですね。私の方はまだまだですが」

 由乃は何処までも静かな声で陸に言った。そこにはあの暑い夏の日、陸に向けられていたあの刺すような鋭い視線は何処にも無かった。

「体が自由に動くようになり次第、お屋敷のお手入れに伺がわさせていただきます。大奥様がお屋敷にお戻りになられる時にはちゃんとしたお庭でお迎え出来るようにご用意しておきますので何のご心配なくお戻り下さい」

「よろしくお願いしますね」

 それだけ言うと疲れでも出たのだろうか、固く目を閉じた。

「お母様、身体に障りますから横になりましょう」

 翠が手を添えると由乃はベッドに身を横たえた。

「それではこれで失礼させていただきます。お体お大事に」

 由乃は目を閉じたまま軽く顔を動かし陸に返事を返す。これ以上の長居は無用である。陸と翠は連れ立って由乃の病室から退去した。

 二人が陸の病室に帰りついた時、部屋はすっかり片付けられていた。二人が大奥様にご挨拶している間に椿が退院の準備をすっかり済ませてくれていたのだ。ただ、椿の姿は何処にも無かった。

 この日、椿が陸の前に姿を現す事は無かった。家にでも帰ったのであろうか。それにしても陸に何も告げず帰るのも妙である。陸が翠と親しくなり過ぎたのが気に障ったのであろうか?陸は釈然としないまま病室での最後の夜を終えたのである。




 退院の日、陸の病室はお祭り騒ぎであった。久しぶりの四姉妹勢ぞろいであった。

「陸、家に帰るよ。今日は盛大に退院祝いするからね」

「陸、取って置きの話があるんだ。家に帰ったらじっくり話してやるからね」

「今日は陸のために本庁の会議サボっちゃった。あんな辛気臭い会議より陸の退院の方がよっぽど大事だからね」

 桔梗、桜、紅葉が次々と陸に話し掛ける。三人は陸の退院が余程嬉しいのであろう。しかし椿だけがいつもと違っていた。ただそれを誰もが気付かなかった。

「桔梗、今日は宴会無し。桜、陸に見合い話はもういらない。紅葉、あんたはさっさと役所にお帰り」

「へっ?」

 三人が同時に素っ頓狂な声を出した。まるで信じられない言葉を聴いたとでも言う様な驚きの声であった。

「鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして。桜、桔梗、紅葉、揃いも揃ってなんて顔しているの。春風の奥様の翠さんだ。ちゃんと挨拶しなさい、いいね」

 椿の後ろにはいつの間に入ってきたのか、翠の姿があった。

「春風の翠と申します。この度は陸様の退院おめでとうございます」

 翠が深々と頭を下げるのを見て三人は慌てて頭を下げた。

「陸のことは翠さんに任せるとしてあんた達は陸の荷物を家まで運んで頂戴。今日はそれで解散。解ったね」

 解ったもなにも、三人は陸と翠の事など何も知らないのである。紅葉が恐る恐る聞いた。

「椿姉さん、どうかしちゃったの?」

「どうもしないさ。ただ今日からは陸の事は翠さんにお任せするという事。今迄みたいに陸に変なちょっかいを出すんじゃないよ」



 陸が生まれて三十九年。三人にとって陸は弟であると同時にわが子同然、更には大切なおもちゃでもあった。それを今日突然取り上げられたのである。納得できる筈が無かった。

「椿姉さん、何なの一体。話が全然見えないけれど」

 桜が口を尖らせて椿に言った。

「いいかい、みんな良くお聞き」

椿が静かに話し出した。

「母さんが死んだ時、陸は未だ生まれて半年足らずの赤ん坊だった。涼風園の跡取り息子がどうしても欲しかった母さんが自分の命と引き換えに生んだのが陸。私は高校に入ったばかりの十五、桜が十二で中学一年生、桔梗が八つで紅葉はたったの五つ、未だ保育園に通っていた。仕事で忙しかった父さんに代わって私達四人が母親代わりになって陸を育ててきたけど、それも今日でお役御免。ちょっと寂しい気もするけれど嬉しいじゃないか。陸の大切な人、陸を大切と思う人がやっと現れてくれたのだから。今日から私達四人は陸の母親を卒業してただの姉。これからは陸の事を何もかも翠さんに任せる事が出来る。嬉しいじゃないか」


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