思いがけない見舞い客-1
今の陸は正に籠の中の鳥、まな板の上の鯉である。それを良い事に四人の姉達は引っ切り無しに病室を訪れては何かと世話を焼いて行く。
「涼風さんにはまるで何人ものお母さんが居るみたい。おかげ様で私の方は助かりますけど」
学校を出たばかりの担当看護士のチヨちゃんもちょっと呆れ顔である。
病院(ここ)に運び込まれて来た時にはスキンヘッドの怖い印象しか無かった陸の頭が今では五分程の長さに髪が伸びていた。本来が優男である陸の事がチヨちゃんには気になって仕方が無い。もっと世話を焼きたいというのが本音なのである。
どうした事か、今日は竜さんが仕事の報告に現れただけで朝から姉達の姿が見えない。入院以来こんな静かな日は始めてである。おかげで陸はのんびりとした時間を過ごしていた。姉達の代わりにチヨちゃんが大した用も無いのに顔を出すのがちょっと煩いぐらいである。
唯一つ困った事がある。身動きできない陸の下(しも)の世話は今まで姉達が全部やってくれていた。子供の頃から全てを姉達にゆだねてきた陸にとってそれは何の抵抗も無い事であったのだが、今日はその姉達が姿を見せない。陸は先程から猛烈な尿意を覚えていた。
さてどうしたものか。この歳でお漏らしなどというみっともない失敗(へま)はしたくない。かといって全く他人のうら若きチヨちゃんに頼むのも憚られる。そんなこんなを思案しているうちに限界が訪れた。
ナースコールを押すとチヨちゃんが満面の笑みを浮かべてすっ飛んできた。
「涼風さん、どうしました?」
「あのー、頼みにくい事なんだが」
「何でもおっしゃって下さい。私、涼風さんの担当ですから」
何故かチヨちゃんは陸の次の言葉を舌なめずりして待っている。なにやらよからぬ事を期待している様である。
陸は思い切って頼んでみた。
「シッコがしたいんだ、頼めるかな」
「当たり前です。私、担当ですから」
やけに何度も担当を強調するのが気にかかる。
チヨちゃんは後ろ手に隠していたものを陸の目の間に差し出した。
「じゃーん、そうじゃないかと思って持ってきちゃいました」
チヨちゃんの手には尿瓶がしっかりと握られていた。
今までは悉(ことごと)く陸の姉達に邪魔をされてきた。今日は絶好のチャンスである。憎からず想っている陸の大切なものを・・・。そう想うと思わず舌なめずりしたくもなるというものである。
「じゃ、準備しますね」
チヨちゃんの手が陸のパジャマのズボンに掛かろうとしたときである。病室のドアがノックされ女性が入って来た。
「チェ」
チヨちゃんは思わず舌打ちをした。
チヨちゃんは手にした尿瓶をその女性に手渡した。
「お姉さん、あとお願いしますね」
チヨちゃんから突然尿瓶を渡されその女性は唖然としていた。
チヨちゃんはふくれ顔で病室から出て行った。
「出る!」
陸の切羽詰った声を聞くとその女性は慌てて陸のパジャマの下をパンツごと一気にズリ下げた。ひょっこり顔を出した陸のそれをむんずと掴み、尿瓶の口に突っ込む。
それと同時に陸は思い切り自分を解放した。瞬く間に尿瓶は黄色い液体で満たされた。
全てを放出し切羽詰った気分から開放された陸のそれを掴んでいるのが春風の奥様の翠である事に気がつくと今度は心臓が止まりそうになり、ついでに奥様の手の中でこれでもかと膨れ切っていたそれが一気に縮こまった。
「あ、あの、奥様、そんな」
陸の慌てぶりを横目に、奥様は陸の濡れたそれをティッシュで丁寧に拭き取り、膝の所で情けなく丸まっているパンツとパジャマのズボンを優しく引き上げた。そして何事も無かったかのように黄色い液体で満たされた尿瓶を下げて病室を出て行った。
程なく奥様は手を拭きながら戻ってきた。汚れた手を洗いに行っていたのだ。
「奥様にとんでもない事をさせてしまって、なんと言ったらいいか」
すっかり恐縮しきっている陸をじっと見つめ、
「気になさらないで下さい。初めてお目にかかった訳ではございませんから。それにしてもちょっと驚きました」
いたずらっぽく笑いながら奥様はベッドの脇の椅子にゆっくりと腰を下ろした。
チヨちゃんは何故奥様を姉達の一人と間違えたのだろうか。幾ら入れ替わり立ち代り現れるからといっても奥様と姉達とを間違えるなんて程がある。今度とっちめなくは。
そんな事を考えながら小さくなっている陸に奥様が声を掛けた。
「今度は大変でしたね。先程病院の入り口で竜さんにばったり出くわし、涼風様がこちらに入院されている事をお聞きして早速ご挨拶に参りましたの」
「奥様は何故この病院に?」