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悲しい深海魚
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U-4

 私の住む世界の言葉で言えば「恋人関係」なのであるが、依然として風俗を生業とする忍の世界の言葉で言えば私は忍の「男」・・・「情夫」となった。

 情夫を持った風俗の女の大切な仕事は己の世界に住む人間に自分の「男」を認知させる事である。私にしてみれば男の存在を隠す事の方が当たり前のような気がするが、忍の住む世界では全く逆なのである。

「私にはマブがいる、この男の”おんな”になったんだからもう私には手を出すんじゃないよ」「私のマブはこんな男だ、見かけたらちゃんと挨拶しなよ」

 そんな意味なのだろうか、忍はあのドライブの日から一週間、毎日店までの送り迎えを私にさせた。店の前に車を着けさせ、堂々と乗り降りする姿を全ての店の黒服が、そして多くの飲食店の経営者や従業員がそれを目にする。おかげで寝不足のまま自分の仕事をする羽目となったが効果は絶大であった。この界隈NO1の泡姫の男である。この界隈に住む誰もが私に頭を下げた。

「酒飲むんだったら弥生町か薬研掘で飲んで。私の名前を出したら何処でもツケが利くから」

 忍を店に送り届けた後、時間つぶしに近くの店に入ったことがある。

「忍姉さんの名前でボトル出しておきます」

 驚いた事にどの店でもこちらから忍の名前を出すまでも無く、忍の名を書いたボトルが出てきた。とんでもない女を彼女に、いや、自分の女にしたことをこのとき初めて痛感した。私が店を訪れた事がその日のうちに忍の耳に入る。以来、私が忍のエリアで遊ぶ分、忍は一切の小言をも言う事が無かった。

 この時の夜の送り迎えは一週間ほどで終わったが、私の休日に忍の昼の仕事のお供をすることが加わった。

 黒のスーツ姿に地味な伊達メガネ、ほとんどすっぴんに近い薄化粧の昼間の姿から忍の夜の姿を想像する事は不可能に近かった。自分の休日にはそんな忍を助手席に乗せて走り回った。

 忍が顧客に配るカレンダーや土産物は全て自前で購ったものである。それに掛かる経費を差し引くと昼間の収入はさほど残らないとこぼしながらも一日中顧客周りを続ける。子供達の夕食の支度を済ませると今度は店に飛び込み明け方まで泡姫としての仕事をこなす。倒れないのが不思議なくらいの忍の日常であった。

 たとえ夜は泡姫として働いていても二人の娘がが物心ついてからというものは必ず昼の仕事を同時にこなしていた。それは子供達に夜の仕事を悟らせないためのカモフラージュでもあった。思春期を迎えた二人の娘達には夜はコンパニオンとして働いていると言い聞かせていた。

 ただ二人の娘に何不自由の無い暮らしをさせるためだけにこれほど過酷な毎日を繰り返さなければならない理由(わけ)が何処にあるのか・・・それが不可解ではあった。その理由を私が知るのはずっと後のことである。

「女なんてうんざり、自分が男だったらどんな事でもやってやるのに」

 それが忍の口癖であった。心底自分が女である事を悔やんでいた。いやむしろ呪っていたといってもいい。


 仕事、身なり、教養等々。忍は自分の男である私に全てに一流である事を求めた。

 この街一番の園芸店の副社長格である私の仕事は忍の規格にギリギリ合格していたようである。

 仕事着以外の普段着、背広、ネクタイ。それまで私が持っていたものは全て処分された。元々服装に何の関心も持っていなかった私のファッションに忍は我慢が出来なかったようである。私をテーラーに引っ張っていき、最高の生地で三着の三つ揃いの背広と皮のコートを誂えさせた。軽く二百万を超えた支払いを忍はすべて自分のカードで支払った。そんな忍の金銭感覚に一抹の危うさを感じたが、忍は私に一切の異議を唱える事を許さなかったのである。それは私の普段着から作業着に到るまで続く事になる。

 保険会社が主催する高名な経済人の講演会には欠かさず行かされた。それはまるで私の義務のようになっていた。

 自分が男であるならば必ずそうすると思ったことを忍は私に全て求め続けたのである。短期間の間に見る見る洗練されていく私を周囲は奇異の目で見ていた。

 中身が何処までランクアップしたかははなはだ疑問であったが、見てくれがそれなりになった頃、私は忍の二人の娘に会わされた。私が忍の男となってから半年経ったころである。

 それまで私を一度たりとも自分の部屋に入れたことの無かった忍が突然招き入れた。娘達との顔合わせである。突然現れた男に二人の娘達は怪訝そうな顔をしたが、忍は一切の異議を唱えさせなかった。

「ママの彼だからちゃんと挨拶しなさい」

 その日から私は忍の部屋に出入り自由な唯一の男となった。




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