U-2
「ところで、忍は今日はどうして休んだの?」
ずっと気になっていたことをユキに聞いてみた。
「姉さん、昨日店で倒れちゃったの。姉さんがんばりすぎるから」
「倒れた?」
「そう、これで二回目。昼間保険屋さんで働いて夜はここでしょ。朝、家に帰って二人の娘さんのお弁当こしらえているんだから大変。眠るのはお店でお客さんが切れたときだけだから」
「忍、昼間も働いているのか?」
「そう、あっ、いけない。余計なこと喋るなって言われていたんだ。又叱られちゃう。お客さんお願い、お姉さんには私が喋ったこと黙っていて頂戴」
ユキは両手を合わせて私に懇願した。どうやらユキは日頃から自分のおしゃべりを忍からとがめられているようであったが、今日はそのおしゃべりでどうやら二人の娘がいること、昼間は保険の外交員をやっていることが判った。私が子供を手放したのとは反対に、忍は自分ひとりで娘二人を育てていたのだ。私が泣き言を言ったとき忍が突然不機嫌になった訳が少しだけ理解できた。それにしても朝昼晩働いていたとは。
「私、おしゃべりでドジだからいつも姉さんに叱られているの。迷惑かけてばかり。でも姉さんは自分がこんな仕事していることを娘さんたちには絶対に知られたくなくて、どんなに疲れていても必ず朝は娘さんたちが起きる前に家に帰るんですよ」
叱られるといいながら、ユキは又忍のことを話し出す。どうやらこの女(こ)は天然のおしゃべりらしい。私が店を出るとき、ユキは何度も自分が忍の秘密を喋ったことは黙っていてくれと頭を下げて頼んだ。
ユキのおしゃべりのおかげでいつも忍が疲れた顔を見せていた理由(わけ)が判った。比喩としてではなく忍は本当に寝る間もなく働いていたのだ。わずかばかりの忙しさや子供恋しさで忍に泣き言を言ってしまった自分が恥ずかしかった
「この間はせっかく来てくれたのに、お店休んでごめんね。自分を指名してくれたってユキよろこんでた。ありがとう」
いそがしかった園芸シーズンが終わりを告げ、ひさしぶりに姿を見せた私に忍がそう声をかけてきた。今日はいつもより元気に見えた。
「倒れたんだって、身体の方はもういいのか?」
「疲れが出ただけ、大丈夫よ」
「昼夜働くなんてむちゃだよ。それに娘さんたちの世話もしていたら倒れるのは当たり前だ」
「ユキが言ったのね。私のことお客さんに喋ったらダメだってあれほど言っているのに。何度言ってもわかりやしない。もううんざり」
「そう言うなよ、彼女は彼女なりに忍のことを心配しているのさ」
「忍が一人でこれだけがんばっているのに、つまらない愚痴を言った自分が恥ずかしい。忍から怒られて当然さ」
「あんたを怒ったわけじゃない。あんたや、あんたの子供に辛い想いをさせる前の女房に腹が立ったのさ。自分のためだけに子供捨てるような女に母親の資格なんて無い。そんな女になんで子供を渡しちまったのさ。馬鹿だよあんたは」
きつい言い方ではあったが、その言葉の裏の忍の想いが嬉しかった。
「あんた、ユキ抱かなかったんだって。かまいやしないのに。それとも私に悪いとでも思ったの?」
私を下から覗き込む忍の顔には満更ではなさそうな笑顔が浮かんでいた。
「他の女抱きたくて来ているのじゃない。忍にあいたくて来ているんだ。今度からは誰も指名せずにおとなしく帰るよ」
別に忍を喜ばせるために言ったわけじゃない。半ば本心であった。
私が帰ろうとした時であった。
「月曜日は休みなんだろう。ドライブしようよ。どっか連れてって。私も休むから」
今まで一度として外で会おうとなどと言った事のない忍が突然そう切り出した。倒れるまで昼夜なしに働いてきた忍のその言葉に私は正直驚いた。一番忍らしくない言葉である。
「客と外では絶対に会わないってのが忍の身上なんだろ。一体どうしたんだ?」
「ごちゃごちゃ言うんだったら止めにするよ。いいの」
「驚いただけだよ。判った、迎えに行く」
忍が待ち合わせの場所に指定したのは私も良く知っている飛行場の近くの何の変哲もない古い喫茶店である。特にコーヒーが美味しい訳でも、雰囲気がいいわけでもないその店を忍が指定した事にも又ちょっと驚いた。
約束の時間まで三十分程時間がある。モーニングでも頼もうかと思ったがそれは忍と一緒に楽しめばいい。とりあえずコーヒーを頼んだ。 期待もしていなかったが思ったとおりの水っぽいこコーヒーが出てきた。
“なんでこんな店で待ち合わせするというのか?”
約束した日に感じた疑問が再び頭をもたげる。忍は味に煩い。グルメと言っていいほどのこだわりを見せる。味オンチの私でさえ不味いと感じるコーヒーを出すようなこの店を待ち合わせ場所に指定した真意がわからない。そんなことを考えながら時間が過ぎるのを待っていた。
約束の時間を三十分も過ぎた頃であった。道路を挟んだ向かいのマンションの玄関から女が出てきた。忍である。
道路を横切り喫茶店の前まで来た忍がこの店には入ろうとせず、外から私に向かって手招きをしている。私は腰を上げた。
「モーニングでも食べないか」
「いらない、金払ってまでこの店の不味いモーニングなんかたべたくないわ」
そんな店に私を呼び出しておいてなんという言い草であろう。何のことはない、自分の住まいに一番近い店という事でこの店を指定しただけである。それよりも自分の私生活を絶対に明らかにしないという忍が自分の住まいを私にさらした事が驚きであった。
「行こう、何処でもいいから景色のいいところに連れて行って」