深海魚の秘める願い事-2
「……ええ」
視線を戻してエリアスは頷き、少し考えてから付け加えた。
「もっとも、アレシュさまがそう簡単に寵姫をとるくらいなら、王都の重臣たちは、とうの昔に政略結婚をさせておりました。わたくしの教育が悪いせいだと、散々叱られたものです」
溜め息混じりのセリフに、カティヤが子どものように笑う。
そして空色の瞳を少し上向け、少し高い位置にあるエリアスの瞳をじっと見上げた。
「やはり嫉妬するとしたら、エリアスさまにです」
「わたくしに?」
予想外の言葉に、少々面食らった。
仕事柄、アレシュの傍についてまわる事は多いが、エリアスはずっと男として振る舞っている。
身元不明瞭なまま王子に仕えるだけでも、何かと煩い事をいわれるのに、女となれば余計な邪推をする者まで必ず出てくるからだ。
「ですが、わたくしは……」
「アレシュさまは、貴方を誰よりも頼りにしていますから。身体よりも心を掴む相手の方が手強いでしょう?」
可愛らしい外見ながら、凛々しく気丈な騎士姫は、爽やかな笑みを浮べる。
「負けませんよ、エリアスさま」
「……」
曖昧な微笑みを唇に貼り付け、エリアスは腰を折って一礼する。
「そろそろ戻らなくてはなりませんので……失礼いたします」
小砂利を踏みしめ城に向かいながら、ふと初めてアレシュに会った日の事を思い出した。
昔のアレシュは、とにかく他者への不信感でいっぱいだった。
牢獄生活で荒みきっていた精神がようやく安定しかかったところへ、カティヤを奪われトドメを刺されたのだ。
あのままでは、また理性を失った化物に戻る日も近かっただろう。
突然やってきたエリアスを、不安と不審に満ちた魔眼で、殺意を込めて睨みつけていた。
『わたくしを焼き殺したところで、世界も貴方も変わりません。ですが、貴方が自身の手に何かを掴みたいと望むなら、お手伝いする事はできます』
いつでも業火を放とうと身構えるアレシュに告げた。
『そんなの無理だ!焼き殺されたいのか!?嘘つき!!』
確か、アレシュはそう怒鳴った。
『カティヤはもういない!!もう、俺と一緒にいられるヤツなんか、誰もいない!!』
怒りと悲しみに溢れた魔眼は、今にも業火を放ちそうなほど凶暴にぎらついていた。
それでもエリアスは逃げず、海底城の魔眼知識をはじめ、アレシュに様々な教育を始めた。
防御魔法と結界を駆使しても、一歩間違えれば焼き殺される危険は常にあった。
だからこそ海底城で、ストシェーダの後任へ志願する者が他にいなかったのだ。
エリアスも、手負いの化物のような王子が恐ろしくなかったかといえば嘘になる。
それでもアレシュにずけずけと説教し、その心に踏み込めたのは、ミスカから逃げるきっかけ以上に、アレシュの人生が勿体無いと思ったからだ。
彼の周りにはメルキオレやリディアをはじめ、沢山の宝物が転がっていた。その手に何も掴み取れなかったのは、やりかたを知らなかっただけだ。
元はミスカと同じ魔眼を持ちながら、その力を制御できず、手に入れられるべきものを何一つ掴めない……。
本当に何も無い自分には、きっとそれがたまらなく悔しかったのだと、エリアスは思う。
(わたくしに嫉妬……ですか)
思いもよらず告げられたカティヤからの『褒め言葉』に、くすぐったいような感覚を覚えた。
アレシュもカティヤも、エリアスの真実を知らない。
二人に見せているのは、具合の良い部分だけを写した虚像なのに、まったく大した買い被りだ。