T-2
「しばらくお待ち下さい、係りの女(もの)が直ぐにお迎えに参ります」
客同士が顔を合わせることの無いように配置されたソファーのひとつに私を座らせると、黒服の男は静かに姿を消した。
テーブルに用意されているタバコを手に取る。火を点けて半分も吸い終わらないうちに女が現れた。少し離れた床の上で三つ指を突いて頭を下げ、私を向かえる長じゅばんの女がいた、顔は全く見えなかった。
「忍(しのぶ)です」
ただそれだけを言い、顔を上げた。この仕事の女にしてはそう若くは無い女である。
気に入らなければ座ったままでいればいい。私は腰を上げた。やっと一人が上れる狭い階段のほうに私の手を引いていく。私を先に上(のぼ)らせ、忍と名乗った女は後に従った。
思ったよりも広い部屋であった。カーテンで仕切られた部屋に入ると四畳半ほどのスペースがあり、ベッドやテーブルなどが配置されている。一見すると若い女の部屋の造りそのままである。その奥にはゆったりとしたジェットバスが設えられたタイル張りの部屋が続いている。間仕切りは一切無かった。
決まった手順なのであろう。忍は私を洗面台の前に座らせ、頭の上から足のつめ先まで丹念に洗い、それが終わるとシャボンで満たされたジェットバスに誘う。広く見えた大型の浴槽も二人が入るとさすがに身動きが取れない。女のなすがまま、私は生暖かい湯の中で目を閉じていた。やがて私の分身が湯とは別の生暖かいものに包まれるのを感じた。
これ以上入っていれば身体がのぼせてしまうという絶妙のタイミングで浴槽から出され、今度はタイルの上に用意されたマットの上に寝かされた。
一瞬、ひんやりとした感触がしたかと思うと忍は私の上で自分の身体を動かす。自分の身体を使い私の身体を一心不乱にこすりだす。ぬるぬるとした感触は先程ひやりと感じたオイルであろう。大柄ではないといえ男の私を自在に動かす忍の額には大粒の汗が光っていた。それにしても重労働である。私は忍にマットでの作業を早々に切り上げさせた。
ほてった身体をベッドの上で冷ましている間も忍は一時も休まない。浴室を荒い、散らかったタオルを片付ける。その手際の良さに感心しながらぼんやりと忍を見つめていた。
ベッドでの行為は男と女のそれとなんら変らない。むしろ愛する者同士の行為であると錯覚するぐらいの飾り気の無い、それでいて濃密な交わりであった。金で買った五十分の擬似恋愛はあっという間に終った。
年末の慌しさが過ぎ去り、三が日の短い正月休みも瞬く間に終る。しばらくは春の園芸シーズンに向けて忙しく働いていた。ある日、財布の中に溜まった雑多な領収書を整理している時、銀行カードほどの大きさのカレンダーカードあることに気が付いた。この月のカレンダーである。ところどころに丸がつけてある。帰り際に忍が渡してくれた忍自身の出店予定日を記(しる)したカレンダーであった。明日は久々の休日である。カレンダーを見ると、今日忍は出店の予定となっている。久しぶりに忍に会いたいと思った。
狭い路地を抜け、店の前に車を着けると黒服の男が出てきた。初めての日、私に声をかけてきたあの黒服の男である。私から車のキーを受け取ると、あの時と同じように私を待合室に案内する。私は予約など入れずにやってきていた。
「忍は接客中でございます。他の子をお付けしましょうか」
驚いた事にたった一度だけ、それも一月も前に来店した私を、そして相手をしたのが忍であることも又この黒服は覚えていたのである。
待合室で三十分ほど待つと忍が現れた。最初のときと同じように床に膝を突いて私を出迎えた。最初の時とは違い、今日は最初から顔を上げている。その顔には笑みが浮かんでいた。
「待ちました?」
「少しだけ」
「次からは予約入れてくださいね、待たなくてもいいように」
「ああ、そうするよ」
最初の日、ほとんど話しかけてこなかった忍が今日は自分から話しかけてくる。忍は私を馴染みの客として扱ってくれた。
私の身体を洗い、バスに入るように促し、自分も長襦袢を脱ぎかけた。
「今日はいいよ、一人で入る。君も疲れているだろう、マットもいいからね」
「本当、助かる。今日は早くからお客さんが立て込んでもうクタクタ。お客さんで最後にしようと思っていたところなの。ありがとう」
こういう店で受けるサービスを期待してこの店に来た訳ではなかった。忍に会いたかっただけなのだ。私が湯船に浸かっている間、忍はテーブルに顔を伏せぐったりとしていた。余程疲れているようであった。その後に私がこの店を訪れる度、それが当たり前のことになっていった。忍が特に疲れているときなど、ただ湯に浸かるだけで、忍を抱く事もせずそのまま帰ることさえあった。時には指名の時間の間、二人で食事に出たりもした。