アールネの少年 1-8
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エイは確かに余人の思うとおり、政治的な発想に向いた人材ではないが、兄の意図について考えないではなかった。
黒森砦は北ナブフルの南部、森林地帯の始まる場所にある。
この砦の陥落に成功したことで、アールネはロンダ―ンへの道を得たと言ってよかった。
……が、だからといってすぐさまロンダ―ンに攻め入るなど正気の沙汰とは思えない。
北ナブフルの要衝が取り払われたならば、最初に攻略するのは南ナブフルとその周辺都市であるべきだ。
南ナブフル王国を陥落せしめれば、国境を接したトリュームとの戦争は有利になるし、さらに南方のイスルヤへの足がかりも得られる。
長く続く西方諸国の混乱は、ほとんどが単純な、領土と資源の奪い合いによるものだ。そのために、アールネの民は十五の歳から徴兵され、エイは子供の頃から戦場に派遣されてきたのだ。
だが、そんな野望をもって攻めるには、ロンダ―ンは大きすぎる。国土の広さも人口も、生産力も軍事力も、アールネの周辺諸国とはなにもかも桁が違っていた。
なぜロンダ―ンなのだろう。
黒森砦の方向を眺めながら、とりとめもなく考えていたエイに、背後から声がかけられた。
「エイ様」
「どのような様子ですか」
エイが到着したとき、すでに黒森砦はロンダ―ン軍に制圧されていた。
撤退した兵士と合流し、砦から隠れるように小高い丘の反対側に陣を敷いた。
向こうもこちらの動きには気付いているだろうが、現状は睨み合いである。
リアの指示で付けられた副官の男は、エイの問いに変化のない旨を告げたのみだった。
エイは小さく頷いてから、彼の後ろに立つ、もう一人の男を一瞥した。
敗走した兵はわずかな数だったが、彼らは森に潜伏していたある部隊に保護されて助かったのだという。
つまり、その部隊の指揮官がその男だった。
引き合わされた初日、彼は自らを北ナブフルのとある貴族に派遣されたものだと紹介した。
北ナブフル国内にもともと存在した、反ロンダ―ンの一派がアールネに協力しているという図式である。
その貴族とやらが、アールネが王都と幼い王子を押さえている点をどう思っているかは知れなかった。
北ナブフルで反ロンダ―ン派とはつまり反王家という意味であろうから、王子の身はどうでもよいのかもしれない。
最終的に彼らの処遇はリアが決めるだろう。エイはあえてそこで思考停止した。
「アールネ公弟エイ殿」
男は腕を広げる大げさな動作で感心を示した。
「先ほど副官殿に聞きました。道すがら、抵抗する町を一つ制圧して来られたとか。さすがに迅速ですな」
「……山間の小さな町です。正規兵もほとんどいませんでしたから」
エイは、傍目には眉ひとつ動かさず、無表情に応じた。
通過するだけのはずだった小さな町で思わぬ襲撃に遭い、やむをえず反撃したのは事実だ。
結果、町は焼け落ち、物資は根こそぎアールネ軍のものとなった。
自国の民を傷つけられながらどういうつもりで言っているのかと、彼は相手に対してぼんやりとした不審を抱いた。
「ところで」
男はエイの態度に気付かぬ風に続けた。
「夜間に斥候を放たれたとか」
「ええ。僕はこの周辺をよく知らないので」
「我々に聞いてくださればよいのですよ。あなた方より先んじてここに到着し、以後ずっとあちらの動きを探っております」
「……それは助かります」
彼は静かに目を上げた。直視すると、男はぎくりと怯んだように笑みをこわばらせた。
エイの、白っぽい灰色の両眼は、特に薄い色の目を見慣れぬ東の人間には、ずいぶん奇異に映るようだった。
焦点がわかりづらく、何を見て、考えているのかが読めないから、と。
表情の変化に乏しいのも相まって、何も考えていなくとも相手が勝手に深読みしてくれるので、便利と言えば便利だ。
このときもそうだった。エイが何か口にする前に、男は言い訳がましい断りごとを一言二言告げて、そそくさとその場を去って行った。
「それで、首尾は?」
男の姿が遠ざかったのを確認してから、エイは改めて、ひそかに行っていた作戦の首尾を質した。
「ご指示通り、暗殺に優れた者を送り込みましたが失敗いたしました。シェシウグル王子に近付くのは難しいようです」
副官はそう言って、探るようにエイをうかがった。
「おそらく捕らえられたと思われますが、始末に誰か潜入させますか?」
「……そうですね」
エイはぽつりと呟くように、そう頷いた。
「人選は任せます」
「かしこまりました」
彼は従順に頭を垂れた。
今回副官として任命されたのは、リアが選んだだけあって冷徹で、優秀な男だった。
他の兵士のようにエイを過剰に恐れも、逆に侮りもせず……腹の内がどうかは知れないが、表向きは淡々と彼のお守りに徹している。
無駄口を叩かないのは助かると彼は思った。
今まで付けられた側近の中には、エイに勝手に入れ込んで、彼とエレヴ公子を比較するような物言いを始めたり、アールネ公が彼に与える恩賞に不足があると不満を洩らすような者もいたのだ。
その手の輩はエイにとっては迷惑でしかなかった。
そうした煩わしさが無いのは良いことだ。
彼はそう考えつつ、立ち去る副官の背を見送った。
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