30 死の翼-2
地鳴りをあげ、バンツァーは倒れこんだ。
カティヤを抱いたまま、アレシュ王子が危ういところで巻き添えを避け、二人は言葉もなく丘の惨状を見つめている。
〔……はぁ、はぁ〕
ナハトも勢いあまって地面へ激突したが、ふらつきながら起き上がる。
身動き一つしないバンツァーへヨロヨロと歩み寄り、震える声で尋ねる。
〔おじさま……どうして……ねぇ!?正気に戻ってるんでしょう!?〕
〔……〕
〔だって……そうじゃなきゃ……〕
〔……〕
黙っていると、両眼から大粒の涙を零しながら、ナハトは怒りの咆哮をあげた。
〔おじさま!!わざと……っ!!わざと、あたしに負けた!!〕
褒めてやりたかった。
主人を守るために命を賭け、勝ててもなお驕ること無く、冷静に自分を評価している。
――最高の飛竜だ。
こんな雌に言い寄られて、喜ばない雄がいると思うか?
〔……せっかく黙って死ぬ所を……台無しだな……〕
〔どう……してっ!どうして!?〕
〔どのみち……そう長くは持たなかった〕
バンツァーの意識はすぐに、また漆黒のつる草に飲み込まれただろう。
そうなったらもう、ナハトに勝ち目はない。
また、バンツァーの意識が残っていると気付かれたら、ナハトは最後の一撃をためらっただろう。
だが、そんな恩着せがましい言い訳を、長々説明をする時間はもう無い。
本音はもっと我侭で切実な……死を引き換えにしても良いと魂が叫んだ声。
〔ナハト……俺を憶えていてくれ……〕
飛竜らしからぬ願いを、バンツァーは口にする。
群れ全体が一つの共存体の飛竜。
バンツァーも母親はいたが、父親が群れの誰かなど、考えたこともない。
里で生まれた卵の中、どれかは自分が産ませたものかもしれないが、区別はつかない。
雄も雌も、群れの仲間を平等に愛し合い、特別な存在を作らないゆえに、飛竜は人間たちのように血筋や家名に煩わされないのだ。
それでも、ナハトの記憶に特別なものとして残して欲しかった。
彼女がこれから長い長い時を生き、多くの飛竜と交わり、いくつもの卵を産み育てたとしても……。
〔酷い……〕
顔を歪め、ナハトが泣きじゃくって罵る。
〔ああ……すまんな……俺はひどく我が侭だ……〕
〔おじさ……バンツァーを、忘れられるはずない〕
伝う涙に濡れた鼻先が、そっと擦りつけられた。
じんわりと温もりが伝わる。
彼女が寂しい夢を見るたび、寄り添い眠った。暖かな温度を全身が思い出す。
飛竜はかけがえない人間のパートナーを持つくせに、同族のつがいは持たない。
それに疑問も不満も持たなかったが……
――こんな気持ちを、人間だったらなんと言う?
〔ナハト……俺は、な……ハァ……ハ……〕
鼓動の弱まってきた心臓から、伝えたい言葉が見え隠れするのに、上手く表せない。
もどかしくて上下した喉から、代わりに真っ赤な血の塊を吐く。
不意に、霞んだ視界へ二人の少年が移った。
(……アーロン?……リクハルド?)
彼らを忘れるはずがない。
たくましい青年を経て老人になり、安らかな死の翼に抱かれたはずの、二人の少年。
彼らはまるで色あせない笑顔でバンツァーに駆け寄り、耳元にそっと、囁いてくれた。
もどかしいこの想いを……バンツァーが最後に伝えるべき言葉を、教えてくれた。
〔ナハト……〕
わずかに動く首を無理に曲げ、ナハトを正面から見据えた。
間違いなく、笑えていたのだとと思う。
最高に幸せな気分だったのだから。
〔 アイシテイル 〕