返却-3
すると歩仁内くんは少し顔を赤らめて、鼻の頭をポリッと掻いてから、
「暇なときでいいんだけどさ、いつかどっか遊びに行かない?」
と、小さな声で言った。
その言葉にびっくりして、つられて私も顔が赤くなる。
ふと過るのは、沙織の冷やかすようなにやけた顔。
ーーー歩仁内くんはきっと、桃子のことが好きなんだよ。
これでいいのかもしれない。
歩仁内くんは明るいし、一緒にいて楽しいし、優しいし、私にはもったいないくらいの人だ。
私は若干戸惑う気持ちがあったけど、それを押し隠して、
「うん、そうだね」
と頷いた。
歩仁内くんは、
「じゃあ、よろしく」
とだけ言って、ぷいと前を向いた。
多分照れ隠しなのかな、と彼の細い背中を目を細めて見つめた。
うん、きっとこれでいい。
私は廊下側の土橋くんの姿を見れないまま、キュッと下唇を噛み締め、次の授業の用意をし始めた。
来月から三年生になると、受験生と言うプレッシャーがさらにのしかかって来る。
ちなみに、私の模試の結果はDとかEばかりで、教科別に見ると特に数学が無残だった。
だからしょっちゅう親には、
「数学のない私立大学を受ける」
と宣言しては叱責されていた。
親の希望は地元の国立大学に進んで欲しいらしい。
経済的理由はもちろんのこと、三つ離れた兄がサッサと東京の私大に進学し、やれバイトだサークルだと大学生活を謳歌し過ぎて、ほとんど家に帰って来ない現状を目の当たりにしてるからかもしれない。
せめて娘くらいは手の届く所に……と言うのが親の本音だと思う。
でも私は地元の国立大学は、自分の学力を棚にあげておきながらも、どうにも気が進まなかった。
以前なら、何が何でも地元から離れて、そこで自分を生まれ変わらせたいという願望しかなかったからだ。
今までの私を知らない場所で、今までの私と違う自分になって、人並みに恋をして毎日が楽しい人生を歩むつもりだった。
地元以外の街なら、それができると信じて疑わなかったし、逆に地元に残っていたら、何も変われないと思っていた。
でもこうして土橋くんを好きになって、歩仁内くんに心を動かされている自分を知り、狭い世界と思い込んでいたこの街でも意外に新しい発見や出会いがあるものなんだ、とようやく思えるようになり。
今は親の希望に少しでも沿えるように、やれるとこまで頑張ってみよう、と言う気持ちが純粋に湧き上がり、私は二年生最後の補習に向き合った。