『SWING UP!!』第12話-22
「まーちゃん」
記憶の中に、刻み込まれた、初恋の人の声。
「おーい」
春になると、何度も蘇ってきた、八重歯が覗くその笑顔。
「まーちゃんってば!!」
「おわっ!」
耳元で、思い出の声が叫び轟いた。キンキンと鳴る鼓膜に、岡崎は自分が思い出の中にいつのまにか浸っていたことを知る。
「なんや、ボーっとしてからに…」
「あ、ああ、すまん。ちょっと、な」
「ははーん。まーちゃん、思い出しとったな?」
「なんの、話かな?」
「ふふーん。なんの、話やろな?」
とぼけてみたが、無駄だった。八重歯を覗かせながら、にやにやしている清子を見れば、それを悟らざるを得ない岡崎である。
思い出していたのだ。清子と出会った時の事、清子と対戦した時の事、清子を抱き締めた時の事、そして、清子と初めて、触れ合った時の事…。
「まーちゃん、ええ人、見つかった?」
「……いや」
そうだとしたら、こんな簡単に、清子を部屋に上げたりはしない。
「そういう、清子こそ、どうなんだ?」
「……全然」
そうだとしたら、名前を見つけただけで、会いに来たりはしない。
「まーちゃん」
ふと、清子の手が、近づいてきた。ためらうこともなく岡崎は、その手に指を伸ばし、すぐに触れる。
懐かしさが、触れたところから込み上げてきた。最後に触れてから、八年も経っているはずなのに、昨日のように思い出せる感触が、そこにあった。
「………」
「………」
会話が、途切れた。テレビから流れるプロ野球ニュースの声だけが、部屋の中に響く。
逆転の殊勲打を放ったという、千葉ロッツの管弦楽選手のヒーローインタビューの中で、待望の第一子が誕生したというおめでたい話題も、今の二人には、BGMにすらなっていない。
「清子」
「まーちゃん」
触れ合った指先は、強く絡まっている。離れてしまった時間を、取り戻すように、もう一度、深く縒り合わせるように…。
「悪い、俺、“嘘つき”だ」
「なんで?」
「“なんもせえへん”……あれ、嘘になりそうだ」
触れ合っている掌から、熱い激情がほとばしっている。その激情に導かれて、岡崎は、滾る自分を抑えきれなくなっているのだ。
「ええよ、まーちゃん……」
「………」
「まーちゃんなら、ウチ、ええよ……だって……」
清子の言葉は、最後まで聞かなかった。心の抑えを失った岡崎は、清子の身体を自分の胸元に引き寄せて、そのまま腕の中に抱きしめていた。
「まーちゃん、いきなり、やな……」
その腕の中で、清子は抗うこともなく、恍惚とした表情をしている。彼女もまた、抑えていた堰を切って、自分の奥底から溢れ出す感情に、身を任せているのだろう。
「でも、ええよ。だって、ウチ……」
「清子……」
「まーちゃんのこと、今でも、好きやもん……」
名前を見つけた時に、弾けてしまった気持ち。居ても立ってもいられなくなって、会いに行こうと、思ってしまうほどに、膨れ上がって燃え上がった、封印していたはずの熱い想い…。
「だから、ええよ……まーちゃんの、好きにして、ええんよ……」
それをもう、押し留めることなど、できはしなかった。
「清子……俺も……俺も、好きだ……」
「まーちゃん……ウチ、うれしい……」
瞬く間に潤んだ、清子の瞳。それが、ゆっくりと閉じられると、岡崎は、その瞼にそっと唇を寄せてから、そのまま、清子の唇も塞いでいた。
それは、涙の味がした八年前とは違って、温もりと暖かさに満ちた、とても幸せな味のするキスだった…。