THANK YOU!!-5
「にしても、瑞稀は英語すごいな」
シャワーを借りた拓斗が自分の髪の毛を乾かしながら、その後に入った瑞稀が戻ってきてから言った。
寝室のベッドに寄り掛かる拓斗を部屋に戻ってきたばかりでドアから入ってきたという体制で見上げられた瑞稀は、いきなり振られた話に驚きながらも、どうしたのかと聞いた。
「さっき普通に外人と喋ってるし、テレビの音声訳しただろ?」
「あー・・・」
さっき外人と喋ってる・・というのはオーケストラの仲間から冷やかしを受けた時のことだろう。確かに逃げるように帰ってきたが、散々冷やかしに対抗した覚えがある。
といっても、瑞稀にとっては3年前から日常茶飯事な出来事と化しているから特別に感じたことはない。
テレビの音声を訳した・・というのも、先程ご飯を食べている時に何を言っているのか分からない拓斗に簡単に説明した時のこと。
今では日本語よりも英語の方が使うので聞き慣れているだけなのだが。
「アメリカ来て、8年も経てばそうなるよ?」
そう笑った瑞稀だが、その言葉に納得出来ないのか拓斗は自分の思考に入ってしまっていた。その様子を見て、瑞稀は溜息をついてまたも先程と同じように隣に座った。
同じ、シャンプーの香りがした。
「・・・私は、拓斗の隣に居る。急に消えたりなんて、もうしないよ。」
「・・瑞稀・・」
「ううん、出来ない。したくない。離れたりなんて、絶対しない」
ね?と笑顔を向けた瑞稀はすぐに拓斗の香りに包まれた。
暖かい背中に腕を回して力を込めると、それに応えるように抱きしめられる力が込められたのを感じた瑞稀は、同じ石鹸を使ったのに。そう拓斗の香りに頬を寄せながら頭のどこかで考えた。だがその思考も、
「・・本当か?」
という拓斗の震える声に、戻さざるを得なくなった。小さく震える恋人を安心させるように強く頷いた。拓斗がこう弱さを見せてくれるのは滅多に無い。嬉しく思いながらも、不安を煽るような事をしたのは自分のせいだと居た堪れなくなった。
自分が簡単に離れようとしたから、ずっと不安にさせてしまったのだから。
過去の自分の馬鹿。
そう心で愚痴ってから、顔を上げて視線を合わせた。
慣れることのないこの近さで合わせた視線は、拓斗らしかぬ弱さがありありと見て取れた。
そんな風にさせてしまったことを、心の中で激しく申し訳なく思った。
「・・・不安、なんだよね・・?」
「・・あぁ・・。お前が、遠くに感じて・・さ。情けないな、俺」
「そんなことない!!」
拓斗の自嘲を反射的に大きな声で否定した瑞稀は、驚いている拓斗の腕から離れると楽譜用の袋とは別の袋を取り出した。中身を取り出して拓斗に渡す。
「・・雑誌?」
「うん」
今日買ったばかりの雑誌。本屋で見つけ、即購入したモノ。でも、こんなことは今回に限った事じゃなかった。
そのまま瑞稀はベッド脇に置いてある二段式のマガジンラックを拓斗の目の前に運んできては、ドンっと置いた。
その中から5〜6冊取り出す。その雑誌にはカラフルな付箋が貼られていた。ラックの中に入っている雑誌にも同じように付箋が貼られているようだった。
瑞稀の突然の行動が理解出来ない拓斗は手にしている雑誌をパラッとめくる。
適当に開いていくと、拓斗のオリンピックについて載っていた。
さしてそれに興味を示さずに雑誌を閉じた拓斗の前に、瑞稀が付箋の貼ってあるページを次々と開いて置いて行く。
そこに載っていたのは・・
「・・・俺・・・?」
「うん。拓斗が雑誌に出ると・・大抵買ってる。」
「え・・?」
雑誌と瑞稀を交互に見て、拓斗は思わずすっ飛んだ声が出る。
そんな拓斗に気付かない瑞稀。せっかく開いた雑誌を横に全てずらして再び拓斗の目の前に座った。が、今度は顔を俯かせた。
「でもね。ここに載ってるのは“剣道”の拓斗なんだ。見る度に凄いって、自分の事みたいに嬉しいんだけど・・寂しいんだ。・・私の知ってる“恋人”の拓斗が居ないから」
「・・瑞稀・・」
そこまで言った瑞稀は顔を上げた。先程とは違って、とても力ない笑顔を浮かべて。
その彼女に、拓斗はなんて言っていいか戸惑っているとさらに言葉が続けられた。
「だから、今日来てくれた事。凄く嬉しかった。私しか知らない“恋人”の拓斗として来てくれたから。・・遠く感じる事なんて無い。一週間、隣に居るよ。・・私が、居たい」
「・・・瑞稀・・」
今度は、力強い笑顔を拓斗に向けた。少しでも、自分が傷付けてしまった事で不安になる心の刺を溶かすように。少しでも、同じ不安を共有したいと願っている事を伝えるように。
その安心させる笑顔に、拓斗は心打たれた。
感じた衝動のまま立ち上がった。先程移動させた荷物を漁り始める。
どうかしたの?と聞く瑞稀に何も答えないまま、ある物を取り出した拓斗は再び瑞稀の真正面に戻ってきた。そこで、やっと口を開く。
「お前は・・本当に、嬉しくなること言ってくれる」
「へ!?」
急な展開にイマイチついていけない瑞稀は、驚いた声を上げた。
それでも、拓斗は怯むこともなく瑞稀の左手を取った。