真紅の螺旋〜the crimson helix〜『歪曲夢想』-4
「な、何故だ!何故ヒーローの僕が負けなくちゃならないんだ!?」
手を子どものように振り回し、炎に包まれつつ千田は叫ぶ。半ば半狂乱の千田に愛加が言葉を掛けた。
「あんたがやっているのは、正義の名を語った単なる人殺し。それ以外の何ものでもないわ」
「何を言っている!僕は悪い人間をやっつけただけだ!」
「じゃあ、何で関係のない人達まで殺したの?」
千田の手が止まった。
愛加はそれを気にせず、千田の後ろを指差す。
「あの人達もそう。ただの会社帰りのサラリーマン。あんたはただ自分の快楽のために彼等を殺した」
「ち、違う」
すでに体の半分が炎の中にあったが、千田はそれすら気付かない。無意識に膝を突く。寒くないのに体の震えが止まらず、声が震えた。次の言葉を聞いてはいけない気がした。
「違う?だって…」
愛加の紅の瞳が千田を見下ろす。瞳に宿るのは冷酷な殺意と侮蔑。
「あんなに楽しそうに笑っていたじゃない」
僕は……笑っていた?正義のために戦う僕が殺戮を楽しんでいた?
千田の脳裏にある日の光景が蘇る。
自分の手の中には幼い少女の顔があった。顔面を壁に叩き付けられたその少女はすでに死んでいる。
運良く潰れなかった左目に千田の顔が映る。
千田は笑っていた。
可笑しそうに顔を歪め、笑っていた。
「……そうか。僕はヒーローじゃなかったんだ……」
その言葉が終わると同時に、千田の頭が炎に包まれた。千田を飲み込んだ炎は火力を増し、あっという間に千田を灰に変えた。
それを見届けた愛加は、絢の家に戻ることにした。約束をほったらかして自分の家に戻っても良かったが、絢が怒ると怖いので止めておく。
ふと、ある物に気付き足を止める。しかし、何もすることなく歩き出した。
そこにあったのは千田の時計。ヒーローアニメの絵が描かれたそれは、すでに動きを止めていた。
〜
「で、愛加。お前は何で私の部屋にいる」
数十分後、絢の家に行った愛加はこれでもかというほと料理を食べさせられた。
まだ何かを食べさせようと迫る絢から逃げるため、愛加は琴葉の事務所に逃げ込んでいた。絢に悪気がないのはわかるが、これ以上食べたら流石に死んでしまう。
「まあいい。ちょうど礼を言おうと思ったところだ」
琴葉は自分の椅子に座り、足を組んだ。これは何かを話そうとする姿勢だ。
「お前が戦ってる間にちょっと調べたんだが、千田は幼少期にいじめにあっていたそうだ。で、その時に千田は気がついた」
「……ヒーローなんていない?」
「ああ。自分が酷い目にあっているのに誰も助けてくれない。ガキの心には相当なショックだっただろうな。そして千田は思った。『ヒーローがいないなら自分がヒーローになる』ってな。そして力を手に入れた千田は、正義の名の下に悪徳企業の頭を潰す。あれはやりすぎだがな」
どこから取り出したのか、琴葉の手には缶ビールが握られていた。プシュッ、と小気味良い音を立て、プルトップを開ける。
「じゃあ、今回の殺人は千田の復讐も兼ねていたってこと?」
「多分な。千田に殺された人間の中に、小学校のクラスメイトも多くいたからな。まあ、詳しいことは本人に聞いてみないとわからんが」
話し疲れた。台所から枝豆取って来い、と付け足し、琴葉は愛加に背を向けた。
廊下にはまだ絢が彷徨いているが、琴葉が怒るととても恐ろしいので大人しく指示に従う。
「ねえ、琴葉はヒーローを信じる?」
愛加は扉を半分ほど空けたところで、思い出したように尋ねた。
「信じてはいない。むしろ存在してほしくない」
「何で?」
「当たり前だろ?みんなヒーローばっかり頼りにして、私の仕事がなくなるからだ」
琴葉らしい答えに、愛加はつい苦笑した。琴葉は気分を害した様子もなく、椅子に背中を預けていた。
愛加が部屋からでると、案の定絢が待ち構えていた。
「あ、絢、琴葉が枝豆食べたいって」
絢が何かを言い出す前に素早く目的を切り替えさせる。
「琴葉さんが?しかたないなあ」
絢は三階に上がっていった。台所に枝豆を作りに戻ったのだろう。その姿にほっとしつつ、愛加は窓から空を見上げた。
歪に欠けていた月が、綺麗な円になっていた。
──歪んでしまった幼い頃の夢。時として夢は狂気に変わる。『歪曲夢想』<了>──