第6話-16
バタン、と扉が完全に閉まる音がすると、彼女の肩の力がふっと抜ける。
自分の浅慮を後悔して、惨めな気持ちに陥り、項垂れる。
あの人達は、彼の友達なのだろうか。
最後に、彼の隣に立って、自分を見下すように見つめてきたあの人。化粧もおしゃれも完璧の、美人で大人の女性。それに、
(圭輔なんて、呼び捨てで呼ぶなんて…)
その光景を思い出すと、英里の表情は暗くなった。
それだけ、親密な間柄なのだろう。つい、つまらない、妙な対抗心を燃やしてしまった。
どうして周りにあんなに素敵な女性がいるのに、彼は自分なんて何の取り柄もない人間を選んでくれたのだろうか。
今だって、自分勝手に訪れて、その行動で勝手に傷ついているなんて、悲劇のヒロイン気取りも甚だしい。お門違いもいいところだ。
「…英里!」
遅れて部屋を出てきた圭輔が、2・3メートル先を進む彼女を呼び止める。
英里が振り向くと、申し訳なさそうな顔をしている圭輔の姿があった。
「ごめん、せっかく来てくれたのに、急にうちで大学時代の友達と飲み会やる事になって…」
英里は気持ちを落ち着かせるように、そっと目を瞑る。
彼には、彼だけの付き合いがあり、プライベートがある。当然の事だ。
あまりにも自分中心に考えすぎていて恥ずかしい。
「いいんです、連絡もしないで来た私が悪いんですから、早く戻って下さい」
またすぐに目蓋を開いて、何でもないような顔を装い、そう告げた。
「本当に、何もないのか…?」
普段遠慮してメールや電話すら制限してしまう彼女が突然家に来るだなんて、圭輔には彼女に何かよっぽどの事があったのではないかと思わずにいられなかった。
躊躇いがちにそう告げながら、英里の手を掴もうとすると、彼女はそれをするりと避ける。
「はい。ただ会いたかっただけです。だから、これだけでも目的は達成されました。それじゃあ、また」
余計な心配を掛けないよう、最後に英里は微笑んで、踵を返すと、階段を下りていった。
圭輔は腑に落ちないまま、部屋に戻ると、早速質問攻めが待っていた。
「なぁ、なぁ、やっぱあの子ってお前の彼女!?」
「もしかして、生徒に手出したのか?羨ましいよなぁ、周り女子高生だらけだもんなぁ」
「教師と生徒の禁断愛…みたいな??」
面白可笑しく騒ぎ立てる友人らを余所に、圭輔は無視して酒を呷り続けていると、
「…あんな地味そうなの、圭輔の好みだっけ?」
ネイルまで抜かりがない、先程玄関口で英里に話しかけたその女性が、素っ気無くそう呟く。
圭輔は、何も答えない。
「でも、綺麗な子だったよね。すっごく色白で」
険悪になった場の雰囲気を察して、他の友人がフォローを入れる。
「あぁ、そうだよな。スタイルもいいし」
「…うるせーな、もういいだろ」
圭輔は不機嫌にそう言い捨てた後、ベランダに出て、真夏の蒸し暑い空を見上げる。
(英里、ちゃんと帰ったかな…)
褒められようが貶されようが、こんな風に彼女が好奇の目に晒されるのは正直気分が良くない。
くだらない事で傷付けたくない。彼女は自分だけの、かけがえのない大切な存在なのだから。
「う〜…」
「英里、飲みすぎじゃない?」
対面の席に座る友人が、心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
甘いカクテルでも、アルコール度数は決して低くなく、何杯も飲み続けると、徐々に酔いが回ってくる。
酒があまり強くない彼女が、突然飲みに行こうなどと言い出した時は、どうしたのだろうと思ったが、まさかこんなに早いピッチで飲み続けて、ここまで酔い潰れてしまうとは。
「そ、だね。もうかえろっか…」
英里はふわふわと感覚のない体を、テーブルに両手をついて支えながら、何とか立ち上がろうとすると、思うように力が入らずよろよろとその場に倒れかける。
「ちょっと大丈夫!?」
慌てて友人も立ち上がり、英里の体を支える。
「ごめん、ありがと」
「もう、あんたそんな状態で1人で帰れんの…?」
「平気、平気…たぶん…」
にっこりと微笑んで、口ではそう言いながらも、英里はそのままばったりとテーブルの上に倒れこんでしまった。
ぼんやりと、虚ろな瞳で自分の手を見つめ、昨日の事を思い返していた。
(私、わがままだ…)
友達同士の付き合いまで制限したいなどという事は決して思っていない。
だが、名前で呼び合うような親しそうな女性の友人がたくさんいて、何だか複雑な気持ちだった。
頭では分かっているのに、心がついていかない。
彼の友人の女性達に比べて、自分は遜色ないだろうか。
あの後、自分は彼の友人達にどう思われただろう。
去り際は、自分なりに精一杯、愛想よく振舞ってみたつもりだったのだが、心の奥の醜い感情は隠しきれていなかったかもしれない。
友達同士で盛り上がっているのを邪魔しないよう、ああするのがあの場では最適な選択だと思ったのだった。
彼女面で挨拶なんて、人見知りの自分がうまくできるはずがないし、圭輔も迷惑だろう。
(可愛げないのはどうしようもないじゃない…)
悪酔いしているのか、ガンガンと頭を内側から鈍器で殴られているかのように重く響く痛みと共に、暗い考えが沸き起こってきては止まらない。その相乗効果で、気を抜くと、涙が溢れそうになるのを必死に堪えているうちに、意識が遠ざかっていく。
「ちょ、ちょっと、英里…?」
机に突っ伏したまま、動かなくなってしまったかと思うと、すうすうと気持ちよく寝息を立て始めた英里を見て、友人は溜息を吐く。
「ったく、しょうがないなぁ」
普段はしっかり者であまり隙を見せない彼女が、こうやって酔い潰れてしまうのが珍しかった。
余程疲れているのか、眠っている英里をしばらく静かに見守り続けていたが、時計の針はもう23時を過ぎようとしている。