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濃霧の向こう側に手を伸ばして
【大人 恋愛小説】

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-1

 寒さで目が覚める。仕事は休みでも、仕事がある日と殆ど変わらない時間に目が覚めてしまう。不眠の気があるのだろうか。一度ぐっと伸びをして気付く。ベッドの上に座っている、女性に。
「おはよ」
 彼女はまるで日常に融け込んでいるみたいにひらりと手を挙げて朝の挨拶をする。
「あぁ、まだいたんですか」
 俺は寝癖だらけであろう髪をグシャっと掴み、「いつまでいるつもりですか」とあくびを交えながら無愛想に訊ねる。
「いつまでならいてもいい?」
「何いってんスか、あんた」
 俺の言葉にまた「ふふ」と笑い、腹を折っている。
「帰る所がないの、暫くここにいさせて。って言ったらいさせてくれる?」
 そこには、昨日と同じ、口元だけに作られた寂しげな薄い笑みが浮かんでいる。彼女の声が甘えに富んだねちっこい声だったら俺は即刻外に追い出すのだが、彼女の澄んだ声を聞くと、本当に彼女は困っているのではないかと錯覚してしまう。俺は困惑して掛け布団を半分に半分に折っていき、これ以上折れなくなった所で「帰る所がないって、じゃあどこから来たんだよ」と反撃した。
「どこからだろう。気付いたら君のギターの前に座ってたから。ねえ、名前教えてよ、桜井君」
 面食らったように瞬きをし、自分の苗字を知られている事に一瞬恐怖を覚えたが、そういえば昨日俺のビラを一枚掴んだんだったと思い出す。
「ビラ見たんでしょ。桜井武人。あなたは?」
 俺は敷き布団の上にあぐらをかいて、彼女と対面した。
「私は、桐子。キリって呼んでね」
「いや、呼ばないし。つーかもう帰ってください」
 俺の声なんて耳に届いていないみたいに、軽い足取りでトイレにたち、それから戻ってくると、俺が座っている布団の隣に座り込んだ。自分のバッグに手を突っ込み、探っている。奥の方から、個性的な柄の財布が出てくる。
「当面のご厄介費」
 そう言って、やけに分厚い札入れから数枚の一万円札が出され、布団の上に広がった。
「あの、困るんで、帰ってもらえますか? 金も持って帰ってください。厄介だと思ってるなら余計に帰って下さい」
 彼女は俺の声なんて完全に無視して財布をしまい、ベッドに飛び乗ってうつ伏せになると、傍にあったリモコンでテレビをつけて、見始めた。俺は困惑で頭がおかしくなりそうだった。布団に散らばった一万円札は十枚あった。とりあえず一発、溜め息を盛大に吐いて、それから札をひとまとめにしてちゃぶ台に置いて、俺は布団を畳み押し入れに運んだ。今夜はベッドで眠れるだろうかと不安になる。
「あの、キリさん、本当にここにいるつもりですか?」
「さん、はいらないよ。同じ歳だよ、武人君」
 年齢が知られている事に驚き、次に口にしようとした言葉が喉につかえる。
「お金だったら沢山あるから。使い切れないぐらい。あと、料理もできるよ。迷惑かけないから」
「いや、もう既に迷惑なんスけど」
 彼女に目をやるが、こちらを見る事もせず、ずっと薄く微笑んだままでテレビを見ている。
 何を言っても帰りそうもない彼女に「俺、朝飯買ってきます」と告げて上着を引っ掛けてから家を出ようとし、思い出したように引き返した。押し入れの衣装ケースからボーダーのカーディガンを取り出すと「寒いでしょ、着てください。それから勝手に外出ないで下さい」と言って彼女にカーディガンを投げつけた。



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