第一章 クモの巣払い-1
第一章 クモの巣払い
翌週の土曜日、別のCDを借りた出た武志は道路に出た。
今日は好天に誘われて、散歩がてら一時間ほど歩いてきたのだ。
しばらく歩道を歩いた所で、横に車が止まった。
中で手を振った女性は沙智子だ。
すぐに助手席のウィンドウガラスがするすると開いた。
「こんにちは」
「やぁ、こんにちは。この前のCDを返しにきました」
「わたしもそうなんです」
「そう言えば、あれから一週間ですね」
「田村さん、今日は車じゃないんですね」
「いや、健康のため歩いてきたんです」
「よかったら、途中までわたしの車で送りましょうか」
「途中まで?」
「いつも行くスーパーに寄りますので」
「そうですねぇ…」
「ここから歩いたら一時間ぐらいかかるんでしょ」
「そんなにはかかりませんが…」
「遠慮なさらないで。それとも…」
「え?」
「わたしの車ではご迷惑かしら?」
「いや、そんなことは…それじゃお願いします」
* * * * *
車は武志を助手席に乗せてすべり出した。
「奥さん、いつごろ退院されるんですか?」
「あと一ヶ月ぐらいかなぁ」
「あらぁ…そんなに?」
「事故の後遺症の心配がなくなるまでは…」
「きちんと直しておかないと、あとで困りますものね」
「交通事故だから、あとでどうこう言えませんから…」
「そうらしいですね。でも、なにかとお困りでしょ」
「いや、ひとり暮らしには慣れてますから」
「そう言えば、単身赴任をされてたものね」
「えぇ…二年ほどですがね」
「食事だけでなくほかにもいろいろと…」
「食べることに不自由しなければ、ほかには…」
「そうかしら?」
沙智子がいたずらっぽい目を武志の手元の包みに移した。
「夜がお寂しいんじゃないですか?」
「べつに…晩酌と食事のあとはバタンキューだから」
「でも…それエッチ系でしょ」
「あ…見られていたんだ」
「だって、田村さんが立っていた所が…」
「そう言えば…あそこは…」
「わたし、それで声をかけそびれて…」
「そうでしたか」
「じつは、わたしもあそこのCDを…」
「ええっ、そうだったんだ」
「そんなに驚かれると、なんか恥かしいわ」
「なにもそう言うわけでは…」
「わたしみたいな女性が見ちゃいけないのかしら?」
「奥さんなら…」
「なにか奥歯にモノが挟まったような言い方ね」
「いまはおひとりなんだから…」
「でも、周りの目が気になるので、わざわざあの店に…」
「じつは僕もですよ」
「うふふふ…」
沙智子の打明け話に、武志の口がなめらかになる。
「そう言えば、ご主人は…」
「そうなの。一年も帰ってないのよ」
「もうそんなになりますかね」
「休みが取れないとかで…ほんと、なにしてるのかしら」
「もちろん、仕事でしょ」
「寝る間も惜むほど仕事があるのかしら?」
「そりゃ、不眠不休だったら病気になってしまいますよ」
「そうねぇ。電話の声だと元気なようだし…」
「それじゃ心配ないですよ」
「それはそれで心配…」
「え? なにがですか?」
「いいえ、なんでも…」
しばらく車を走らせていた沙智子が前を向いたまま…
「田村さん、お急ぎですか?」
「いや、べつに…」
「わたしも…娘が部活で夕方までいないの」
「そう言えば、お嬢さんは高校ですね」
「ええ…」
車を走らせた沙智子が、田村の包みに視線を当てた。
「それって、ひとりで見るよりも…」
「……」
「ふたりで観る方が愉しめると思いません?」
「それは言えますね」
「それじゃ、これから一緒に観ません?」
「えっ…どこで?」
「わたしの所というわけには…」
「う〜ん…僕の所というわけにも…」
「だったら…わたしにまかせてもらえるかしら?」
「それはかまいませんが…」
「それに…はらっていただきたいものが…」
「え? なにをですか?」
「クモの巣…」
言われている意味がわからず思わず沙智子を見返した武志だが、
前を向いたままの沙智子の顔がぽ〜っと赤らんだ。
「ご無理なお願いかしら?」
「いや、べつに…」
「あとのことはお任せいただけます?」
「ええ…まぁ…」
武志の返事はあいまいだが、沙智子が車の向きを替えた。
「ダッシュボードからサングラスを取っていただける?」
「あ、ここですか?」
「ええ、ちょっと眩しいので…」
武志が手渡したサングラスをかけた沙智子は車を郊外のモーテル
に滑り込ませた。
* * * * *