満を持す-2
「ミカさんっ!」
「ケンジさんっ!」
修平と夏輝はいきなりアポなしで海棠家を訪ね、ソファの前の床に正座をして頭を床にこすりつけた。
「おまえら、全然成長してないな。あの時と同じじゃないか。」ミカが呆れて言った。
「今度は何のお願いなんだ?」ケンジが二人をソファに座らせた。
「これっ、ミカさんの好きなビールですっ。」修平がスーパーの袋に無造作に入れられた6缶入りのビールを差し出した。
「それから、これ、」夏輝は紙袋を差し出した。「コーヒーです。ケンジさんに買ってきました。どうぞ、お召し上がりください。」
「あ、ありがとよ。」ミカはそれを受け取った。
「なに気を遣ってるんだ、二人とも・・・。」
修平がひとつ咳払いをして静かに口を開いた。「お、俺たちついに結婚します。7年に亘り交際を続けて行く中で、いろいろと紆余曲折もございましたが、最終的にこいつと一緒でなきゃ俺の人生は先に進まないことに気づきました次第です。つきましては公私共々大変、深くお世話になりましたあなたがたご夫婦に是非、俺たちの結婚式にあたってご媒酌の労を執っていただきたく、」
「断る。」ミカがあっさりと言った。
「そ・・・・・。」修平は顔を上げて絶句した。
「やだね。そんなの。」
「や、やだね・・・・って、ミカさん、そんな・・・・。」
「つまんないよ、今ドキ『ご媒酌人』だの、何だの。」
「で、でも・・・・。」
「わかってる。わかってるんだ、あたしも。」ミカが優しく修平に目を向けた。「夏輝の母親、陽子は満足に結婚式も挙げられなかった。だからせめて娘の結婚の時ぐらいはちゃんとした式や宴を出してやりたい、って考えてる。そうだろ?夏輝。」
「ミカさんは、何でもお見通しなんですね・・・・。」
「あの子、意外に古風なところ、あるからね。」
「俺、夏輝を幸せにしてやることはもちろんだけど、こいつの母ちゃんも一緒に幸せにしてやりたい。そう思って・・・。」修平がかしこまって言った。
「えらいぞ、修平君。」ケンジは立ち上がり、修平の横に立って肩を叩きながら言った。「今の言葉、陽子先輩に聞かせてやりたいよ。」
「その気持ちが伝えられればいいんだろ?何もあたしたちに気を遣わなくてもさ。」
「君たち自身が結婚を心から喜ぶことが、一番大事なこと。そう思うけどね。」ケンジは微笑んだ。
「あたしたちは、あんたたちを祝福するために、式に出席するよ。それでいいだろ?媒酌人なんて形ばかりのものに気を遣ったり、お金を使ったりすることないよ。」
「あ、ありがとうございます。」二人はそろって涙ぐんだ。
「陽子だってわかってくれる。違うことにお金を使いなよ。もっと大切なことにさ。」ミカは微笑んだ。
「それから、」夏輝が指で涙を拭いながら顔を上げた。「ケンジさん、感謝してます。本当にありがとうございました。」
「え?何?何のことだい?」
「あたしのお母ちゃんを抱いて下さって・・・。」
「な、なんでそれを!」ケンジは慌てた。
「お母ちゃん、あれからとっても穏やかな表情に変わったんです。」
「穏やかな表情?」ミカが言った。
「はい。それまでは、どんなに笑ってても、どこかに陰があった、っていうか、心の底から嬉しそうな顔をしない、っていうか・・・・。」
「さすが娘だね。」ミカは感心してうなずいた。
「でも、ケンジさんに抱かれた日から、お母ちゃん、とっても無邪気に笑うんです。娘のあたしが言うのも変なんですけど。」
「そ、そうなのか?」
「きっと、お母ちゃん、死んだお父ちゃんと二人で暮らしていた時って、そんな顔で笑ってたんだと思います。」夏輝は一度目を伏せ、すぐに顔を上げてまた涙ぐみながら笑った。「本当にありがとうございました。」
ケンジは頭を掻きながら言った。「陽子先輩を抱いたのは俺だけど、彼女の心を癒したのは一樹さんだよ。君のお父ちゃんだ。」
「はい。きっとそうだと思います。あたしも。でも、」夏輝はケンジの目を見つめた。「ケンジさんがそれを実現して下さったのも事実。ケンジさんがお母ちゃんを抱いて、いい気持ちにさせて下さったから、お母ちゃんはかつてのお父ちゃんへの想いを甦らせることができたんです。ケンジさんが恩人であることに変わりはありません。あなたでなければできなかったこと・・・・だと思います。」
ケンジはまた頭を掻いた。
「お母ちゃんの中に、やっとお父ちゃんが帰ってきた・・・。そんな気がするんです。」
「本当に母親思いの娘だね、夏輝は。」ミカは微笑んだ。「大事にしてやりなよ、修平。」
「はい。」修平は力強い返事をした。
「おめでとう、夏輝ちゃん、修平君。」ケンジも笑顔で言った。