『MY PICTURE【スパゲッティと女】』-4
「え・・・と。じゃあスパゲッティーでいいかな。きのこのヤツ」
覗き込む様にいうと、彼女は断定的に頷いた。
ファミリーレストランは深夜のせいかひどくひっそりとしていた。それぞれのテーブルから立ち昇る冷たい金属の触れ合う音。フォークとナイフの(あるいはスプーンかもしれないが)断続的なその音が、少しずつ俺を冷静にさせていった。そう、ひどく腹が減っていたのだ。だからとりあえず、彼女に食事でもご一緒しませんか、奢りますよなんて言ってしまったのだ―――家賃延滞で宿無しになった話を聞いた後で、支払いを請える無神経さが有ったら最初から関わらないだろう―――そして今ここで、知り合って間もない女と深夜のファミレスで遅すぎる夕飯をとっている。
「ねえ」
「何です?」
驚いたのが顔に出なかっただろうか。彼女から話し掛けてきたのはこれがはじめてだったのだ。
「あたしはこうしてあなたの厚意で夕ご飯にありついているわけなんだけど、とりあえず、それは別として、あたしに帰る所が無いことには変りが無いの。そうよね?」
「まあ、そうでしょうね」
突然随分と饒舌になったものだ。これはきっと良い兆しなのだろう。この会話の目指す所をしかと見届けてみようじゃないか。
「それでね、さっきまでは凄く絶望的な気分だったの。まさか東京のど真ん中で宿無しになるなんて考えもしないでしょ?泊めてくれるような友人も居ないし。こういう時、一人ぼっちって不便ね。で、心底絶望的な問題に直面すると、あたしはいつもそうするんだけど、どうでも良いや、なんとかなるわって一時的に思考回路を遮断しちゃったの。で、だけど、こうしてファミリーレストランのあたたかな建物の中で、現実的にものを考えてみて、ポスト・ティーンしたばかりの20女がその辺で野宿して、っていうのはあんまり得策じゃないわね?」
で、で、と懸命に思考を吐露する様子は、まるで言葉を覚えたばかりの幼い子供のようで、それが口調や、諦観と拮抗する真摯な眼差しと合間ってなんとも年齢不詳な雰囲気をかもしだしていた。
お待たせしましたぁ、きのこスパとポタージュのセットになりま〜ぁす!という語尾上がりの無駄に明るいウェイトレスが休戦の合図を鳴らす。
「まあ、とにかく食事をしよう」
僕の前にずっしりとしたスパゲッティの皿と温かなスープが置かれる。そして、小皿一枚と一人分多いフォークセット。
「本当に注文しないの?いいよ、その位は払うから」
確認するように念を押すと、やはり断定的に頷いただけだった。そうして僕からスパゲッティの小皿を受け取ると、くすんだピンク色の手提げから銀色のプラ・ケースを取り出した。
「マイ・フォークなの。母の片身」
そこから出てきたのは子供用の小さなフォークで、彼女はそれを右手でひらひらと左右に動かすと、はにかんだ様にふわっと微笑んだ。
「どうしたの?」
俺はぼうっとしていたようだった。彼女は既にあるかなしかの表情に変わっていて、怪訝そうに俺を覗き込んでいた。
「いや、ごめん。大丈夫だよ。何か言った?」
慌てて作り笑いを浮かべ、冷めかけたスープに手を伸ばした。彼女はほんの少し目を見開いたが、一瞬後には沈んだ面持ちで目線を落とした。
「いいえ・・・。なんでも無いわ」
頬の辺りにおちた長い睫毛の影を、俺はとてもセクシーに思った。
俺が会計をしている間中、俺は背中が痒くなりそうな程に彼女の視線を感じた。
「今日はご馳走様でした」
店を出た瞬間背後からそう声を掛けられたが、俺はドアーの隙間から滑り込んできたまだ冬っぽい夜気の気持ちよさに心を奪われていた。
「あ〜、いいよ、このくらい」
顎を喉から100度くらいまで反らし、鼻から思い切り夜風を吸い込む。昨日より少し風が温かい。春がもう近いのだろう。何だか名残惜しい気分だ。
「じゃあ、帰ろうか」
自然に出て来た台詞。どこに、とか、それで、とかではなく、俺はこのまま彼女を泊めざるを得ないだろうし、それを嫌だとも思わなかった。それはあるひとつの流れとか用意された結論のようなもので、冷静に考えても少なくとも俺の部屋のほうが野宿させるよりは安全だとも思っていた。運命なんてたぶんこういうさりげない一瞬に起こるのだと思う。
「はい」
彼女もためらい無く返事をした。彼女も、恐らくは同じ空気感の中にいたのだろう。女性的にはあまりよい結果とは言えないだろうが―――知り合ったばかりの男の家に泊まるのは貞操観念的にも良い気分ではないだろう―――その声に不安や懐疑の響きは感じられなかった。