小鳥の里-7
「……男の寝所に勝手に入ってくるな」
単衣仕立ての白い寝衣姿で、入り口にアハトが立っていた。
アハトの口調は不機嫌そのものだった。
しかし言葉だけは強気なものの、顔は赤いし、ぐすぐすと鼻をすすっているし、襖にもたれて立つのも億劫そうだし、と体調の悪さは明白だ。
ハヅルは文句を言う前に、彼に駆け寄った。
「そんなこと言ってる場合か。どこに行っていたんだ、そんな体で」
「のどが渇いたから、水屋に行っていただけだ」
彼はそっけなく答えた。そのまま、手を貸そうとする彼女をうるさそうに押しのけて、ふらつきながら歩き出す。
「世話係は誰もいないのか?」
「ミズナギなら、買い出しに出かけてる」
ごそごそと布団に潜り込んだ彼は、ハヅルに背を向けたまま答えた。
「ミズナギか。つきっきりでいるんだな? それなら安心だ」
旧知の女の名に、ハヅルはほっと安堵の息をついた。
ミズナギはケイイルの数少ない傍系の家の者で、幼いころから係累のないアハトの面倒をよくみている。ケイイルの屋敷のこともアハトのこともよくわかっているし、何より穏やかで優しい女だ。
アハトは寝返りを打ってこちらを向いた。
「……そこで安心されても困るんだがな」
意味がわからずハヅルは眉をひそめた。
「なんでだ。カケスやウソたちに病人の世話なんか無理だろ」
アハトを慕ってその片腕を自称する若者たちの名に、彼は不快そうに鼻に皺を寄せた。
「あいつらなら、枕元で騒がしいから、追い返した」
容易に想像がついて、ハヅルは苦笑した。皆、やたらとアハトに過保護で世話を焼きたがる連中なのだ。
だが何人か顔を思い浮かべてみても、武技にだけ長けた無骨な者ばかりで、病人の看護など満足にできそうもない。
「人の家の襖をぶっ壊しやがって……」
彼は低く呟いた。
いつになく口汚いアハトに、ハヅルは目を丸くした。体調の悪さのせいでかなり苛立っているようだ。
「うちか、頭領の家で療養すればいいのに」
シアやナオイの屋敷ならば使用人もたくさんいる。アハトは幼い頃からこの両家を行ったり来たりして育てられたので、どちらの家の者もよく知っているのだ。
「よその家は落ち着かない」
「子供のころは入りびたっていたくせに」
「子供のころは子供のころ……だ」
アハトは不自然に言葉を止めると、合間に、くしゅん、と一つくしゃみをした。
「何の病気なんだ?」
「……風邪だ」
「本当にただの風邪か? 布団をはいで寝るとかかるやつ?」
ハヅルの言葉に、アハトは顔をしかめた。
「お前と一緒にするな。俺は繊細なんだ」
憎まれ口に腹を立てる気にもなれず、ハヅルは目を伏せた。
「……繊細じゃ困るんだ」
「……何の話だ」
アハトは、ハヅルの声音に何かを感じたのだろう、億劫そうにではあるがのそりと身を起こした。ハヅルは慌てた。
「わっ、起きなくても、」
「いいから、言ってみろ。何しにうちに来たんだ」
彼は枕元に畳まれていた羽織を着込んだ。
話を聞く体勢を整えたということなのだろう。ハヅルは浮かせた姿勢を戻して、ぺたんと正座しなおした。
ハヅルは最後の言葉を除いたアイサの言いぐさと、彼が頭領やシアの当主の決定を蔑ろにしていること、自分がそれを気に入らないこと……気に入らないあまりに腹が立って、自分の手で制裁してやろうと思っていることを率直に語った。
アハトはハヅルの言い分を黙って聞いていた。
目を閉じて、眉間にしわを寄せながら真剣に聞いている風だったのに、彼女がひとしきり話し終えてみると、彼は一言こう言ったのみだった。
「放っておけ」
「でも、」
「あんなやつの言うことに、耳を貸すな。あいつは何もわかっていない」
「でもお前は頭領になるんだ。アイサだってお前の部下になるのに」
「……ハヅル」
納得できずに言い募るハヅルを、アハトは遮った。
「あいつは何もわかっていないが……わからせるのは俺の仕事だ。お前は何もしなくていい。何も、するな」
熱のためにぼうっとした表情ながらも、目つきだけはしっかりとハヅルを見る。
真顔で見つめられ、ハヅルは思わず顔を伏せた。
言い募るうちに、アイサと話していたときの悔しさがよみがえってきて、少しばかり泣きたいような気分になっていた。そんな顔を見られたくなかったのだ。