小鳥の里-12
「あ、アハト……?」
どうしよう、とハヅルは思い悩んだ。
上から押しのけるのは容易だが、せっかく安んじて眠った病人を一人布団に投げ出すのは気がとがめた。気のせいか、彼の手はぎこちなくすがりついてくるようでもある。
彼が無防備に寝入ったのも、この密着した体勢に何かしらの安堵を覚えたためなのだろう。
他の誰でも、たとえミズナギたちケイイルの身内であってもこうはいかないはずだ。彼が完全に緊張を解くのはハヅルの前だけなのだ。
ハヅルもそれを知っていて、幼い日からある種の優越を覚えていたのは確かだった。
家族もなく孤独でか弱いケイイルのひなに懐かれて、守ってやっているのは自分だけだという自負だ。
育つにつれて、孤独な境遇にひねくれすぎもしなければ、全然か弱くもない幼なじみの姿に幼い幻想は薄れていったわけだが……それでも、自身が彼にとって唯一の、真に気のおけない朋友であることは変わらない。それは自信でなく、ただの事実だった。
……許嫁とかいうたわごとはわきに置くとして。ハヅルは内心で注釈をつけた。
仕方ない、と彼女は結局ため息をついて身体の力を抜いた。
「こいつもまだまだ子供だな」
ハヅルは、そうひとりごちると、アハトの頭を胸の上で安定させ、ぽんぽんと背中を叩いてやった。
※※※
アハトの意識が浮上したのは深夜もだいぶ回ったころのことだった。
「…………」
状況の把握に、かなりの時間を要した。眠りに落ちる前に何が起こったか、なかなか思い出せなかったのだ。
幼なじみの少女を下敷きにして、その胸元に頭を抱かれ顔を埋めている状態に、何とか説明をつけようと彼は苦心した。
最悪の体調に慢性的に苛立っていて、構ってくるハヅルの無防備さに腹が立ったのは覚えている……早々に帰らせようとしたのは、別に自分が休みたいからではない。
通常なら意識にも上らない何でもないような衝動を、抑える自信がなかった。ひどく凶暴な気分だったのだ。
アハトは苦心して、抱え込むように後頭部に添えられたハヅルの手を外し、やわらかな……歳のわりには豊かな方の胸元から身をもぎ離した。めまいをこらえながら身体を起こす。
見下ろした少女は呑気に安らかな寝顔をさらしていて、目覚める気配もなかった。
……着衣に乱れはない。
それだけ確認して、アハトはほっと安堵のため息を吐いた。
寝ころんだ際に捲れたらしきスカートの裾だけ念のためにと直してやると、彼はどっと疲労感に襲われ、どさりと彼女の隣に仰向けに身体を投げ出した。
本人は見舞いに来たつもりか知らないが、ハヅルのせいで熱が上がった気がする。
わずかな動作にも動悸が激しくなり、息切れがした。身体が重い。こんなままならない心地には久しく覚えがなかった。
取り越し苦労だった、とアハトは苦笑した。こんな状態の自分に、粗暴なシアの娘をどうにかできるはずがない。
目を閉じて、ぐらぐらと平衡感の揺らぐのをこらえているうちに、隣でハヅルが身じろぎした。
起きたのではなく、重石がなくなって寝返りをうっただけのようだ。
こちら側に横向きに転がったハヅルに、アハトはため息をついた。
「おい。ハヅル」
呼びかけてはみたが答える様子はない。
眠りが深い。戦士としては失格の烙印を押されかねないところだ。
とはいえ、彼女がここまで気を抜くのも、安全な里の内の、さらにアハトの傍に居るときくらいのものなのだ。
アハトもそれはよくわかっていた。
アハトは無防備にこちらに向けられた寝顔に、こわごわ手を伸ばした。
「んー……」
頬に触れた手指に反応して、小さく声が洩れる。
「……ハヅル」
揺さぶって起こすべきか数秒間考えて、結局やめた。この幼なじみは寝起きがあまりよろしくない。
病人のこちらが配慮してやるのも癪な話だ。勝手にしろという気持ちと……ハヅルの言い出した幼い日の記憶が、感傷を呼び起こしてもいた。
彼なりに、気持ちが弱っていたのは間違いなかっただろう。苛立ちがおさまっている今は、彼女が傍らにいるのは悪い気分ではない。
アハトは手をハヅルのそれに重ねた。
戯れのつもりだったのに、少女は眠ったまま、きゅっと彼の手を握った。
アハトは苦笑しつつ、手をそのままに目を閉じた。
悪寒と熱とめまいとで最悪の気分の中、ハヅルの指の冷たさだけが、心地よかった。
※※※