『SWING UP!!』第７話-5
「あいつら、相当慌てふためいてやがる」
相手野手陣の落ち着きを失っている様子が、若狭には手に取るようにわかる。
（だとしたら、やることはひとつだな）
それを感じ取った若狭は、打席に入る直前に、ヘルメットのひさしに指を二本かけた。
「おっ」
それは、スクイズのサインである。
「………」
そして桜子は、若狭の動きを見落とすことなく、そのサインが示す“意図”をきちんと把握していた。
「ボール！」
相手バッテリーが投じた初球は、外角へ大きく外したボール球で、スクイズに対する警戒心がよくわかる。
「？」
しかし、三塁走者の桜子は走る気配を見せず、若狭も打席内でバントをする仕草を微塵も出していない。
「ボール！！」
疑心暗鬼に囚われたように、相手バッテリーは２球目もボール球を放っていた。
それでもなお、桜子も若狭も全く動かなかった。なぜならその仕掛けは、三球目にあったからだ。
「！」
相手投手の足が上がった瞬間、桜子がスタートを切った。そして、打席内の若狭は、即座にバントの構えを取った。
紛れもない、スクイズの形である。しかし、ただのそれではない。
コツッ！
若狭は、やや勢いのない直球に対して、バットを押し込むようにしながらバントをした。それは、打球の勢いを殺すようなものではなく、意図した場所へそれを転がすためのバントであった。
つまり…、
「セーフティ・スクイズ！」
三塁走者の桜子を返すだけでなく、自らの出塁も企図したスクイズ・バントである。大和の揺さぶりによって１点を奪った今、ひとつのアウトをやすやすと相手に差し出すような真似は考えていなかった。
双葉大学のスクイズのサインは、打席に入る直前、メットのひさしを指二本で触ることだ。だが、若狭はバットを肩に抱えていた。単なるスクイズであれば、バットのヘッドが地面についている。つまり、若狭が桜子に伝えたのは、セーフティスクイズのサインだったわけである。
そして、スクイズのサインは、必ず三球目にそれが発動するようチームで統一している。だから桜子は、二球目までは全く走る素振りを見せなかったのだ。
「！！」
打球は、バントの構えを見せた瞬間にダッシュを始めた一塁手の右横を点々とする。もちろん、足の運びを無理やりにでも変えて、相手の一塁手はその打球を掴もうとした。
「あっ……！」
ところが、差し出したグラブの先でボールを弾いてしまった。
そのために軌道が変わったボールを、二塁手がようやくグラブに収めたときには、桜子は既にホームへ生還していて、バントを放った若狭もまた、一塁ベースに悠々と到達していた。
「ホームイン！！」
双葉大は、５点を奪われた直後でありながら、強打をまったく交えずに２点を奪い返した。広がった点差に焦り、打ち気に逸ることもなく、逆に相手を揺さぶって点を挙げたのである。
見事な４、５、６番の連携攻撃であった。