第5話-5
再び携帯の着信音が鳴って、情けなさに零れそうになった涙を何とか堪える。
今度はメールだ。
『英里、もう寝てた?また時間ある時に連絡するよ』
短い文面を読むと同時に、圭輔の顔が思い浮かぶ。
彼のメールは絵文字など一切使わず、いつも簡潔だ。
もっとも、英里も圭輔に送る時は絵文字なんて滅多に使わないからお互い様ともいえるが。
無味乾燥な文面だと、たまに彼の感情が読めないところがある。
怒っているだろうか。
罪悪感が、不安をますます大きくさせる。
(ごめんなさい…)
英里は、再びベッドに横になり、携帯を握り締めたまま軽く目を瞑った。
「…。」
圭輔は、英里からの返事がないかしばらくの間、携帯を見つめていた。
しかし、思えば、英里からは電話もメールもほとんどしてくる事がないし、即座に返信してくる事もほぼない。
まだ夜の10時過ぎなので、まさか寝ているはずはないだろうと思いつつも、あんなメールを送ってしまった。
少し未練がましかったかもしれない。
彼女からの返信を諦めた彼は、携帯を机に投げ出して、明日の授業の準備に取り掛かり始めた。
夜中の3時過ぎ。
英里はふと目を覚ました。
きっと今なら圭輔も寝ているだろう。
英里は簡単にメールの返信をする。
あんな事をしている最中にタイミング良く彼から連絡がくるだなんて、何となく咎められているような気分になり、すぐに返事はしたくなかった。
『はい。仕事頑張って下さい』
愛想のなさ過ぎる文面だが、何も返事しないよりは、ましだろう。
少しだけ安堵した彼女は、再び目を瞑った。
―――ある日の昼休み、英里はいつものように図書館で本を読んでいた。
結局、どこにいても落ち着くのはこの空間。
しかも大学の図書館の広さは高校の時の比ではない。
授業が空いている時は、唯一の居場所であるここで本を読むのが彼女の日課だった。
昼下がりの明るい日差しが大きめの窓から差し込む。
その時、英里の席の斜め前に、誰かが座った。
(こんなに空いてるのに、わざわざ私の席の近くに座らなくても…)
それ以上は気に留めずに本を読み続けていたら、どうも先程からちらちらと視線を感じる。
少し顔を上げて、相手の顔を盗み見ると、
(この人…)
見覚えがある。学籍番号が近く、確か実験でも同じ班だった人だ。
しっかり顔を確認するために見つめすぎてしまったのか、彼とばっちり目が合ってしまった。
(あっ…)
慌てて視線を本に戻そうとするも、もう手遅れだ。
「水越さん、だろ。俺の事知ってる?」
話し掛けられたのを無視するわけにもいかず、英里は再び顔を上げた。
「うん…名前くらいは」
英里が彼の名前を当てると、彼は嬉しそうに微笑む。
とても人懐っこく、明るい笑顔だった。
「俺も暇な時結構ここに来るから、水越さんの事よく見掛けてて」
「そうなの…?」
自分が気付かないだけで、そんなに見られている時があったとは…英里は少し気恥ずかしくなる。
「その作家、俺も好きなんだ。今度映画化するだろ?」
穏やかな笑顔で微笑んでいる彼を、英里はついまじまじと見つめてしまう。
本来、彼女は親しくもないのに馴れ馴れしく接してくる相手には反射的に嫌悪を感じるはずなのに、不思議とそれがない。
「…どうかした?」
「ううん、別に…。映画、来週から公開だったよね。見に行こうと思ってて」
「へー、そうなんだ。俺も見に行きたかったんだけど、良かったら一緒に行かない?」
「え…」
いくら同じ学部でとりあえず顔見知りとはいえ、こんなに簡単に、まだ親しくもない相手を映画になんて誘えるものなのだろうか。
黙り込んでしまった英里に、彼は慌てて、
「あ、もしかして映画は1人で見たいタイプとか?じゃあ、無理には…」
「そういうのじゃないんだけど…。ごめん、ちょっとだけ考えさせて欲しい、かな」
すぐに答えが出せなかった英里は、躊躇いがちそう告げた。
少し困惑した表情の彼女を見て、彼もしつこく誘いはしなかった。
「いいよ。じゃあ、また明日授業でな。読書の邪魔してごめん」
爽やかな笑顔を残して、彼は席を立つ。
動揺を抑えるために、英里はもう一度本に目を落とすも、内容が全く入ってこない。
“…俺以外の男の言う事はすぐに信用するなよ。”
“男と2人きりで飲みとか絶対行ったらだめだからな。”
英里の頭の中で、以前会った時の圭輔の言葉が再生される。
圭輔と付き合うまで、彼氏は勿論、男友達すらもいなかった彼女には、どこまで許されるものなのか境界線がよくわからない。
こういう場合は、どうなのだろうか…。
それから、授業で顔を合わせる度に少し話をしたが、彼とは好きな本の趣味が本当に合う。
てっきり読書家なのかと思いきや、意外にも中高とずっとサッカー部で、今もサッカーのサークルに入っている程のスポーツ好きらしい。
そういえば、圭輔とこういった話をする事はなかったなと、英里はふと思う。
彼は、どういった本やスポーツが好きなのだろうか。
趣味は料理で…情けないが、それ以上思い浮かばなかった。
互いの事を100%知り合うなんてたぶん不可能だろうが、今、自分は彼についてどれ程の事を知っているのだろうか?
メールや電話が簡潔になってしまうのも、きっと共通の話題が思い浮かばないからなのだろう。
今度会った時には、少しそんな話もしてみたい…。
そう思った瞬間、英里は自嘲気味に溜息を吐いた。
(今度、か…)
かれこれ、会わないまま1ヶ月程経った。
次に会えるのは果たして一体いつになる事だろう…。