暖かな氷の世界 * 流血表現があります-4
――戦闘の決着がついたすぐ後。
甲冑を脱ぐ間もなく、王に呼びだされた。
雪と泥を簡単に落とし、天幕をくぐる。
王は機嫌が良さそうだった。
当然だ。悪いわけはないだろう。半日でこちらの圧勝だったのだから。
味方の損害は数十名の軽傷。ロクサリス軍の死傷者は二万を越す。
もう少しこちらも損害を覚悟し手間隙をかければ、ロクサリス王都を攻め滅ぼす事もできただろう。
ただ、僕に課せられた命令は国境から来た軍を防ぐ事だったから、逃げた者まで追いはしなかった。
そこまでする義理はない。
人払いをしてから、王が囁きかけた。
「ヘルマン。なぜ他人に手柄を譲るような真似をした?」
「副将軍に指示を出させた事でしょうか?」
「そうだ。あの男は実直な武人でな。子どもから手柄を取り上げるような真似をすれば、自分の騎士道に泥を塗ると、正直に話してくれた。
全てお前の考えで上手くいったのだとな」
……ため息が出そうになった。
五十代の、頑固で融通のきかない副将軍が脳裏に浮かぶ。
【 勝負に最も邪魔なのは、手柄や面子だとかいう、くだらないしがらみですよ。
本気で勝ちたいのでしたら、そんなどうでもいいものは捨ててください 】
そう言った僕に同意し、黙っていると約束したクセに、自分のプライドを優先させたわけか。
外の世界は、やっぱり嘘つきばかり。
「僕が指示を出すより、ある程度の年齢と実績をもつ彼に言わせたほうが、兵は速やかに動きますので」
「ふぅむ。それはもっともだ。しかしな……」
あごひげに手をやり、王は気味悪い猫なで声をあげる。
「もう少し自分の武勲をたてる事を考えよ。
ワシはお前の能力をよく知っておるが、王というのは配下にも認められなくてはならん。
次の王はお前だ」
「兄上に、王太子の身分を一度与えておきながら、取り上げなさるのですか?」
「……フリッツも悪くはない。だが……」
「僭越ながら、正妻の長男が健在であられるのに、わざわざ妾腹の王子を持ちあげるのは、揉め事の要因になるだけかと」
『正妻』と『揉め事』の二つが、不愉快な猫撫で声を止めてくれた。
王はあからさまに不機嫌な顔で黙る。
「……」
王が、暴虐な独裁者や根っからの悪人でないのは確かだ。
面倒な揉め事を嫌い、見たくないものから目を背けるというささやかなクセがあるだけ。
僕が彼の子なのだと感じさせられる、わずかな部分だった。
――僕も面倒は嫌いだ。
あの書庫を守れさえすれば、他はどうだっていい。
「……まぁ、それは将来のことだ。とにかく将軍として、今回の働きに褒美をとらせよう」
「それでしたら」
具体的な報酬を言い出される前に、口を挟んだ。
「む?どうした」
あきらかに礼儀に反する行為だったから、王がいぶかしげな視線を向ける。
「欲しいものがあります」
「珍しいな。言うがいい」
「僕が育った書庫の権限を、全て下さい」
「あの書庫を?」
王の表情が、ますますいぶかしげになる。
「あそこは王妃が、盗賊が入り込んでいるかもと言って、荒らしてしまっただろう」
「ええ。自分で片付けます」
「……お前の事だから、もっと有益なものを願うと思っていたがな」
「あの書庫には貴重な文献も多くございますし、個人的な思い入れもあります」
書庫を手に入れようと、何度も考えてはいた。
だが、ほとんど使ってないとはいえ、王宮の一部を私物化するなど、よほどの事情がなければできない事だ。
王妃に余計な疑惑を与えないためにも、正面から堂々と入手するのは避けたほうが無難だと思っていたが……どうも胸騒ぎがする。
今回の事で、王妃はさらに僕を憎むだろう。
早く手に入れてしまったほうが、かえって良いかもしれない。
「……そうか。まぁ、いいだろう。王都に戻ったら、正式に譲渡の書類を書いてやる」
ようやく頷いた王に礼を言い、僕は天幕から出た。
入り口の衛兵から剣を返され、雪を踏みしめながら宿舎に戻る。
澄んだ夜空に凍りついた月が輝いて、白銀の世界に美しい光を投げかけていた。