COLOR-2
僕の名前は唐沢匠(からさわたくみ)。もうすぐ22歳になる大学3年生だ。
今日も数少なくなった授業をいつものメンバーと受けてから自宅のマンションに向かった。
最近めっきり雨の日が多くなったけれど、今日はたまたま雲に囲まれた太陽が顔を覗かせていた。
いつもの道のり、久々の太陽の淡い陽射しを浴びながら僕はのんびりと歩く。
マンションの植え込みには紫陽花が咲き始めていた。
『今年も青い紫陽花か…』
紫陽花は土によって花の色が変わるんだといういつかの言葉を思いだしながら植え込みを横切ると、引越し屋のトラックが視界に飛び込んできた。
そういえば隣の部屋があいてたな、なんて思いながら自分の部屋まで行くとやっぱり隣の部屋に引越し屋の作業員が出たり入ったりを繰り返していた。
その様子をちらりと見ながら僕は自分の部屋に入ろうとした。
「…あっ!」
声とほぼ同時に、僕より少し年下に見える女の子が部屋から飛び出してきた。
「すいません!今日隣に引越ししてきた田中です。田中春菜って言います。」
『あっ…どーも。唐沢です。』
反射的に頭を下げると今日お隣りさんになった春菜もペコリと頭を下げてきた。
「ちょっとドタバタして迷惑おかけしますけど…今後ともよろしくお願いしますね。」
『…こちらこそ』
無愛想な僕とは正反対に春菜は礼儀正しく笑顔でじゃぁ、といって部屋に戻っていった。
小柄な体に猫のような顔と長く伸ばされた髪の春菜の第一印象は悪くなかった。多分もてるんだろうな、なんて思いながら僕は自分の部屋に戻った。
殺風景な部屋は綺麗に片付けられていた。多分美香が片付けて帰ったんだろう。
冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出して煙草に火をつけてからパソコンの前に座る。ゼミの膨大なレポートを完成させるために最近はパソコンに向かう時間が長い。
ピンポー…ン…
しばらくレポートに集中していると部屋のインターホンが鳴った。
美香なら合い鍵を持っているし友人なら下のオートロックのインターホンが鳴るはずだ。
珍しいな、と思いながら扉を開けるとそこには春菜が立っていた。
「あっこんばんは。」
『どーも…』
僕は少しあっけにとられながら春菜を見ていると、春菜はいそいそと袋を差し出した。
「これ…つまらないものですけど…隣に引越ししてきた印に」
多分お菓子か何かだろう、僕はそれを丁寧に受け取った。
そしてそのまま部屋に帰すのも何だなと思った僕は部屋にあがる?お茶でも。というように扉を大きく開けた。春菜は一瞬迷ったようだが断るのも失礼だと感じたのか、遠慮がちに部屋に上がった。
「シンプルな部屋ですね。」
部屋の真ん中のソファーにこじんまりと腰掛けた春菜は部屋をキョロキョロと見回している。
僕は入れたばかりのホットコーヒーを二つ持って部屋に戻った。
『性格が表れてんのかな。友達にはよくそう言われるよ。』
はい、とコーヒーを手渡し、向かいに腰を降ろす。
「はは。確かに唐沢さんクールな感じですもんね。」
『…たくみでいーよ。』
「え?」
『下の名前たくみだから。唐沢さんとか照れるし。』
僕がそう言うと春菜は照れたようにじゃぁたくみさんでと言ってコーヒーをすすった。
しばらく他愛もない話をしながら僕たちは過ごした。
春菜はよく笑い、よく喋った。
年は思った通り僕より一つ年下で、近所の花屋でバイトをしながら専門学校に通っているらしかった。
春菜は今時珍しく真面目な礼儀正しい、明るい女の子だった。
僕たちはすっかり打ち解けていた。僕も珍しく今日会ったばかりの春菜に口数が増えていたかもしれない。
けれど僕が打ち解けたその理由に春菜の明るい瞳の奥に何か影がさしている…―僕に似た何かを持っているんじゃないか…―確信に似た何かを僕が感じていたからかもしれない。
もっともそれを知るのはもっと後になるけれど…―。
世間は完全に梅雨入りし、窓の外は昼間なのにどんよりと曇っていて僕は憂鬱だった。
糸のような雨が窓を規則的に静かな音を立てて当たってはしずくとなって流れていく。
僕はそれをぼんやりと眺めながら過ごす事が多くなった。
梅雨だからなのではない。
毎年この季節になると思い出す事がある。
…白い部屋
…白く細い手
…窓の外を眺める瞳
…僕に向けられた悲しい笑顔
全てが脳裏に焼き付けられたまま僕を離さない。
―あれから4年
僕はぼんやりと今でも色褪せないあの日々を思い出していた。
郁美。
…僕が愛した人。
…僕を愛してくれた人。
僕は君を守りたくて仕方なかった。でも守れなかった。
まだ僕は18歳のただの無力なガキで、何も力になってやれなかった。
自分が死ぬ事より君がいなくなる事の方がよっぽど怖くて、君の前では強がっていたけど涙は止まらなかった。
…でももっと、ずっと怖かったのは他の誰でもない、郁美、君だったんだよね…。