『きょう運な休日』-2
国王夫妻とエーベルハルト夫妻の四人がイスパニラ王都に来たのは、政治的な理由だ。
イスパニラ国王が、離宮に引きこもって半ば引退し、事実上の王権を長男のリカルド王太子に譲ったので、招待を受け、会談にやってきたのだ。
サーフィとヘルマンは、国王夫妻の特別護衛という役割で同行した。
しかし、会談もつつがなく進めば、少々の時間余裕はできる。
公的な観光案内もされたが、妹のソフィアが世話になったと、リカルド王太子からの計らいで『お忍び』を楽しめる事になったのだ。
ルーディとラヴィの案内で、イスパニラ王都の休日を楽しむ予定だったのだが……
ラヴィは一時間後、御者を振り落として暴走する馬車の荷台に乗せられたまま、闘牛場から逃げ出した牛の大群に追われていた。
(どう考えても、おかしいでしょう!!)
ヘルマンは何度、頭の中でそう唸ったことか……。
これほど悪夢のような連鎖反応、百億分の一のさらに百万分の一以下の確立なのに!!
そもそも最初のきっかけは、街路樹からオレンジの実が一つ落ちた事だった。
ラヴィにそれが当たってから、積み木崩しのように、次々と『運の悪い偶然』が雪崩おきたのだ。
そこにいたるまでの経緯を詳しく書けば、本が一冊できてしまうだろう。
サーフィがなんとか馬車に追いつき助けたが、2人が無傷ですんだのも、これまた驚くほど偶然の積み重なりだった。
ヴェルナーが闘牛場オーナーの夫婦喧嘩に巻き込まれた事や、ヘルマンがまるで人の話を聞かないオバチャンたちに、新人闘牛士と間違えられた事も含め、全ての偶然が重なって、ギリギリで事なきを得たのだ。
牛たちは、狼になったルーディが威嚇し静めた。
カンカンだった闘牛場のオーナーも、ヴェルナーの仲裁で奥さんと仲直りできたうえ、ヘルマンが二百点満点の演技をしたおかげで、観客も大満足。
開場以来、最高の盛り上がりだったと大喜びした。
騒ぎに駆けつけた警備兵も、エバの和やかな雰囲気にすっかり気を抜かれ、お忍び中のフロッケンベルク王妃とも気づかず、あっさりと
『どなたにもお怪我はなかったんですか、では結構。どうぞ楽しい休暇を、奥さん!』
と、鼻の下をのばす始末だ。
かくして、遅刻してきた本物の新人闘牛士と交替し、六人はさっさか退散したわけだった。
「……私としては、ルーディがすでに慣れきっていた方に驚いたがね」
「だって、よくあるしなぁ」
ヴェルナーが肩をすくめ、ルーディは呑気に頷いた。
「そりゃあ大ピンチになるけど、いつも最後はなんとかなるんだよ。そんで周りは幸せになって、ちょっとだけ俺たちにも良い事がある」
「まぁ、確かになんとかなりましたね……」
確かに、客達は大喜びしていたし、オーナー夫婦も仲直り。
経営不振がちだった闘牛場も、持ち直せるかもしれない。
本日の大騒動で、大勢の人間が幸せになったわけだ。
そして、手元にある極上ワインは、オーナーがくれたものだった。
「なるほど、『ちょっと良いこと』があったな」
ヴェルナーが笑って封を切る。
「そういう事!」
三つのグラスに、赤紫の酒がトクトク注がれた。
北国の人間は酒に強い。
これくらいの葡萄酒など、水も同然だが、味は十分に楽しめる。
女性達の前には、紅茶が湯気を立てていた。
彼らの愛妻たちは、それほど酒に強くないし、特にサーフィはからきし駄目なのだ。
ところが…
「ヘルマンさぁ〜まv」
フラフラ立ち上がったサーフィが、不意に甘い声をあげ、ヘルマンの首に抱きつく。
「サーフィ!?」
酒は一滴も飲んでいないはずなのに、 頬が紅潮し瞳はトロンと蕩けきっていた。
「……そちらのパウンドケーキに、お酒は入っておりますか?」
静かに尋ねられ、ラヴィが慌てて答える。
「あ、はいっ!でも、香り付けにちょっとだけで……」
「―――――なるほど」
「ヘルマンさまの闘牛士姿、素敵でしたぁvv」
しなだれかかる愛妻の腰に手を回し、ヘルマンはひょいと自分の膝に座らせる。
くくっと喉で笑い、満足気に頷いた。
「確かに……幸せがやってきました」
終