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おぼろげに輝く
【大人 恋愛小説】

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16-1

 病院からの帰り道、久野家に寄った。まだ智樹は帰ってきておらず、矢部君が夕飯の下ごしらえをしている最中だった。
「何だ、来るなら来るって言ってくれたら三人分作ったのに」
 ぶーぶー文句を言いながらも、もう一人分追加しているのが分かって、やっぱり矢部君は矢部君だなと安心する。
「あのな、曽根ちゃんが目を覚ましたぞ」
「へ?!」
 どこからどういう風にしたらそんな声が出るのかと問いたいぐらいの声で叫ぶので、苦笑する外なかった。
「今日、百貨店でこれのお揃い、作ってもらったんだ」
 そう言って今日三度目の袖まくりをした。
「それを眠り姫の腕に通してやった途端、目が開いた」
 矢部君はそれを聞くなり「眠りの森の美女がキスで目覚めるのと同じ感覚だね、それ」とほんわかした顔をこちらに向ける。そんな物語もあったか、だから俺は「眠りの森」という単語が頭から離れなかったのか。幼い頃、きっと母ちゃんに読み聞かせでもしてもらったんだろう。俺の母ちゃんは、やたらと絵本を読んで聞かせるのが好きな人だった。
「良かった。ほんと、良かった。塁もやっと柔らかい顔になった」
 何それ、と零す。
「塁は口だけはいつも達者だけど、顔は酷いもんだったよ。やつれてるっつーか」
 自分では全く気付いていなかった事だった。対面に座った矢部君はマグカップに入ったカフェオレを俺の前にずいと出してくれた。湯気とともに立ち上る甘い香りが心地よい。きっと昨日までの俺は、この香りさえ楽しめなかっただろう。家でも気の抜けたコーラしか飲んでいなかった。
 マグカップを手にし「いただきます」と言って熱いカフェオレを一口飲んだ。智樹が帰ってくるまでの間、工房の園山さんに連絡を入れ、曽根ちゃんが目覚めた事を伝えた。明日、病院に来ると言う。智樹が帰ってきたのは二十二時頃で、いつもこんな時間まで飯を食わずに旦那の帰りを待つ矢部君は大変だなぁと思う。でも全く苦ではないのだろう。同棲を始め、毎日を一緒に過ごし、夫婦になり、これが普通になっているのだろう。そこには「愛」がある。
「曽根ちゃん、起きたぞ」
「マジでか!」
 自分の子供でもできたみたいな嬉しそうな声で言うから、俺も嬉しくなって「マジでだ」と言ってどういう訳か握手をした。
 それから矢部君がブレスレットの話をして、俺は照れて赤くなった。人が話しているのを聞くと、異常な恥ずかしさだ。自分から言うべきだったと後悔する。
「じゃぁ曽根山さんが退院したら、うちで退院祝いでもするか」
 ネクタイを外した智樹が俺の隣に座り、入れ替わりのように矢部君が立ち上がって夕飯の支度に取りかかった。
「退院祝いの時は全員、ブレスレット必須な。お前ら最近ブレスレットしてないだろ」
 そう言うと、智樹はワイシャツのボタンを外し、腕をまくってみせた。そこには茶色のグラデーションを描く革ひもが回っていた。
「私もつけてるよ」
 見せられない事が不満であるかのように口を尖らせながらフライパンを揺すっている矢部君は「冬に入ってからあんまりつけてなかったんだけど、塁にあのお店の事を訊ねられたって智樹に聞いてからだよね、またつけるようになったの」と智樹に声をかける。
 んだな、とじーさんのような返事をする智樹は、腕をまくったまま発泡酒を呑んでいる。
「何はともあれ、良かったな。塁の顔に余裕が戻った」
 夫婦で同じようなことを言うなぁと思い、何だか嫉妬してしまう。
「どうせ口だけは余裕こいてるとか、言いたいんだろ、智樹は」
 何で分かった、とハッとした顔で言われ、俺は隣にいる智樹を一発蹴った。いてぇよ、と声は上がるけれど、顔は笑っている。日常だ。笑える日常だ。

 それから二週間程経過して、曽根ちゃんは退院した。退院に付き添った俺は曽根ちゃんのご両親に「こうの事、これからもよろしくお願いしますね」と言われ、一瞬返答に困ったが、口だけは達者な俺なので「任せてください」なんて言ってしまった。
「あ、こう、家の鍵」
 そう言って茶色の鞄からお母さんが取り出した鍵には、俺と曽根ちゃんの合作がぶら下がっている。
「これ」
 鍵を見ていた視線を俺に向けた彼女に「それ」と言うと、曽根ちゃんは口端に笑みを浮かべた。
「じゃ、責任を持って送り届けまーす」
 まるで責任感の欠片もなさそうな口調になってしまったがご両親にそう言い、俺達はタクシーで曽根ちゃんのアパートに向かった。

 鍵を開けて入ったその部屋の中は、奇麗に片付けられていて、きっと警察とご両親が片付けたのだろうと想像する。暫く人気がなかった部屋の中は酷く冷えていて、曽根ちゃんは上着を着たままエアコンのスイッチを入れた。俺は上着を脱いで、生暖かいエアコンの空気の下に立つ。
「ねぇ、ネックレスのヘッド、何で鍵についてんの」
 俺はハエみたいに手をこすり合わせながら「現場に落ちていました」と言うと、曽根ちゃんの顔が少し翳りを見せた。
「ヘッドの事、充、知っててさ。捨てるとか言うから抵抗したら、刺されたんだ」
「結果として、あいつは捨てなかった訳だな。チェーンに通ったまま、曽根ちゃんの傍に落ちてたぞ」
 そうなのかぁ、と言いながら、鍵から取り外したヘッドをじっと見ている。
「良かった、捨てられてなくて」
 ぼそっと呟く曽根ちゃんの姿を見て、居ても立ってもいられなくて、上着もマフラーもつけたままの彼女を抱き寄せた。
「良かった。曽根ちゃんが生きてて」
「塁にもう会えないと思ったよ、私」
 その台詞はぶっきらぼうな上に、俺の胸につぶされていて、なおかつ素敵だった。


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