11-1
長居の駅まで見送った。
「またあいつが来るって分かったらすぐ連絡してよ。行くから」
目蓋を伏せて、口元だけきゅっと引き上げた彼女は、「大丈夫」と言った。
「次にあいつが来たときは、嫌だってちゃんと言うから。危ないと思ったら警察呼ぶから。でも塁にも連絡する」
伏せていた目を真っすぐに向けたけれど、やはりその目は少し怠そうで、これから仕事だし当然か、とも思う。電車の予告音が流れてきたので俺は手を上げて家に帰った。
曽根ちゃんがいなくなった部屋は、何となくがらんとしていて、ミニキッチンに干してある二つのマグカップが妙に存在感をひけらかしている。それが気に入らなくて俺は新しく買った食器棚にしまった。
パソコンの前に座り、メールをチェックする。師匠からの新しい指令は来ていなかったので、イラストの仕事をする為にソフトを立ち上げる。
ふと目に入った革のブレスレットを指で持ち上げる。壁に刺した画鋲に引っ掛けてあった物だ。冬に入って上着を着るようになってから、このブレスレットをする事はあまりなくなっていた。久野夫妻と三人でお揃いになるようにと、智樹が俺に買ってくれたブレスレットだけれど、あいつらは季節のせいなのか、はたまた別の理由なのか、きっと今はブレスレットをしていない。まぁ、ブレスレットよりももっと水に強くて、油に強くて、衝撃にも強くて、絆も強い「結婚指輪」で結ばれている訳だから、ブレスレットは必要ないのか、と思うと、何だか少しだけ、心のどこかに穴ぼこが開いたような気がしなくもない。
それを指でくるくると回してみる。夏から秋にかけてつけていただけでも、くたっとなった。こういう物も職人さんが作っているんだろうか。見た感じ、機械で量産している物ではなさそうだ。今度智樹に店の在処を聞いてみよう。そんな事を思いながら仕事を始めた。
智樹に聞いた店は、駅前の百貨店に入っている事が分かったので、俺はブレスレットを腕につけて、早速足を運んだ。何度も来た事がある百貨店なのに、この店の存在には気付かなかった。硝子窓で仕切られた店の中は、革の匂いがする。店にいた人は中年男性で「いらっしゃい」と声をかけてきた。
俺はぺこりと会釈をすると、一通り店の中を見渡した。革製品が殆どを占め、中には量産しているのだろう型押しのストラップなんかも並んでいるけれど、手作りのものもいくつかあった。店の奥にあるガラスのショーケースの中に、シルバーのリングやブレスレットが並んでいるのを見つけると、俺は口を開いた。
「あの、すんません」
姿が見えないところから声をかけたので、店の男性がこちらに来るまでに少し間があいた。俺はショーケースを指さして話し掛けた。
「こういう指輪とかって、どっから仕入れてるんですか?」
眉をずいっとあげて俺の顔を見るので「怪しいもんじゃないですよ」と目の前で手を振った。店員さんは俺を値踏みするように見て、それから口を開いた。
「知り合いの作家さんの作品だったり、僕が海外から買い付けてきた物だったり、色々かな」
「じゃあ、あの、店員さんのお眼鏡に適った作品だったら、ここに置いてもらう事も可能ですか?」
面食らったような顔をする店員さんに「怪しいもんじゃないです」と繰り返した。
まずは自分の素性を話し、夏頃にこのブレスレットを友人から貰ったと話した。「あぁ、あのイケメンの彼の友達ね」と話が通ったらしい。智樹のイケメンぶりに感謝だ。
「僕の仕事の知り合いで、彫り物系のアクセサリーをネット販売してる人間がいるんですよ。もし、気に入ってもらえたらここに置いてもらえないかなって思って」
店員さんは顎に手を寄せて「うーん」と唸る。仕方ないか、こんな突然じゃ。俺だって閃いたのは昨日の事だから。
「ここのアクセサリーを買って行く人は結構常連さんが多くてね。僕の目を信じてくれてるから、僕が気に入るような作品であれば、それは大歓迎だけど、見てみないと何とも言えないかな」
俺の頬が少し緩んだ。希望の光は見えた。
「あの、ネット販売してるんで、とりあえずそれを見てもらう事ってできます?」
店員さんはレジを親指で指し、歩いて行く。この間、客は一人も入ってきていない。本当に売れるのか、そこが問題なんだが。レジの中に入った店員さんは、ノートパソコンを俺の方に向けた。
「ちょっと失礼」
俺は検索画面から曽根ちゃんのアクセサリー販売サイトを表示し「これです」とパソコンを反転させた。さっきと同じように、顎に手を添えるようにして画面を見ている。ぐいっと首を伸ばして覗き見ると、彼はクリックしていくつか商品の詳細を見ている。
「本人に、会える?」
「はい、呼べば来ます。とりあえず、あの、本人にはまだ何も言ってないので」
「え、そうなの?」
突拍子もない声が出たので俺は驚いた。
「はい、俺が単独で動いているだけで。今度、本人連れてきますから」
店員さんはホームページをブックマークに入れながら「もし商品を置いてもらうにしても、条件があるんだ」と口を開いた。
「条件?」
「うん。このサイト、凄くよくできてるから、僕の商品を置いてもらうっていう交換条件でどうかなって思ってね」
俺はパチンと手を叩いて「商売上手!」と言うと、店員さんはカラカラと笑った。
念のため俺は名前と電話番号を記入したメモを渡して店を後にした。曽根ちゃんが喜んでくれるといい。「余計な事しないでよ!」とか言われたらどうしようかとも思うのだが。いや、九割の確率でそう言われるような気がする。