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「なーんか、絵一枚で気に入られるとか、凄すぎて現実感が無いな。最近は何の仕事してんの」
俺の苦労話なんて彼女にとってはどうでもいい事なのだと理解し、頭を切り替える。この女の頭には「自分時間」が流れているらしい。これまで俺が相手にしてきた人々がどれだけまともな人間だったのか、今となっては手に取るように分かる。
「写真のデフォルメとか、単なるイラスト、ポップの依頼もあれば、色々だよ。デッサンもある。まあ、2Dの世界。曽根ちゃんは3Dだもんね」
曽根ちゃんは「うん」と頷き、胸元のネックレスを握った。
「それ、気に入った?」
今度はボブにした髪から覗く耳の先を真っ赤にして、無言で頷く。自分時間から時々抜け出し、デレる。
「そいつは良かった。俺が女に初めてあげたアクセサリーだからな。大事にしないと呪い殺すぞ」
曽根ちゃんはうつむいたまま口角をあげ「まじで嬉しい」と一言、言った。俺は口をぽかーんと開けたまま、しばらく曽根ちゃんの俯いた頭頂部を見つめていた。
明るめの茶色い髪と、短い前髪。明るい眉。俺の髪は生まれつき栗色なのだけど、彼女は染めているのだろう。日頃、物憂げに見える瞳は、照れると急激に丸さを増し、同時に顔を赤く染める。「そんな事無いモン!」言葉にするとこんな感じだ。基本、ツンデレの癖に「まじで嬉しい」とかいう殺人的デレが発動すると、俺の計算が狂う。
座っていたOAチェアから飛び降りて、曽根ちゃんの目の前に滑り込むようにして正座した。そこにあったフランス語の書類が、音を立ててひしゃげる。
「曽根ちゃんは今日、泊まってったりしないよな? お家に帰るよな?」
彼女は真顔で当たり前のように「うん」と即答する。その様子は「今日朝ごはん食べたよな」という質問に対する「うん」と大差なかった。落胆するヒマも無い。続け様に質問する。
「なあ、曽根ちゃんは今までどれぐらいの男と付き合ってきたんだ?」
曽根ちゃんはおぼろげな視線で中空を見つめ、そこから吐き出された数字を聞いて俺は正気を保つのに必死になる。
「十五人」
ちょっと待てー! 思わず頭を抱える。十五人ってちょっとしたクラスの半分の人数だろ? 二十三年生きてきて十五人と付き合ってるってどんなペースだよ。おれは物凄い情報処理速度で頭の中を動かしたのだが、結局どう足掻いても、彼女が付き合ってきた「十五人」という人数に変化はもたらされないし、俺が不吉な数字「六」がつく十六人目である事は、曽根ちゃんの話が真実ならば、それをも受け入れて付き合っていかなければならないのだ。大好きな映画「オーメン」は今後一切観ない事にする。
「そうか、俺は曽根ちゃんが一人目だ」
頭を抱え俯いていた顔を起こすと、死んだ魚みたいな目をした曽根ちゃんが「花嫁は」と抑揚なく質問する。
「矢部君か。矢部君とは付き合ってない。お互い好きだったけど、そう言う関係にはなってない。俺はその婿の事も好きだったしな。今流行りのBLだな」
ドン引きを覚悟でサラリと言ったが、曽根ちゃんは「ふうん」と言って何も映らない瞳をぼんやりどこかに向けた。
不意に、携帯電話のけたたましい呼び出し音が鳴ったのは、曽根ちゃんの鞄の中からだった。設定音がデカ過ぎる。何が入っているのかは知らないが、ガチャガチャと黒い鞄の中から引っ張り出した携帯を耳に当てる。今迄気にしたことがなかったが、携帯には木彫りのスケートボードのストラップがぶら下がっていた。
「はい、うん、今? 彼氏の家。うんいいけど。分かった。それじゃ」
曽根ちゃんは電話を切ると、彼女に似つかわしくない、無理やりに作ったような笑顔で「行かなきゃ」と言う。
「どこに?」
「家に帰る。また明日、メールか電話するから」
そう言うと毛布を横にのけて立ち上がり、玄関に向かって歩いて行った。
「駅まで帰り道、分かる?」
俺が後を追うと、踵の高い靴を履きながらコクリと頷く。玄関を開けてやった。刺すような冷たい風が吹いて、彼女の髪を揺らす。
「寒くない?」
「平気。あんがと」
それだけ言うと、バイバイも言わずに視線を何処か遠い次元に飛ばしたまま、マンションの廊下を歩いて行き、階段を曲がって姿を消した。
俺以上に変わった女だ。しかし吸引力はイギリス製の有名掃除機並みで、俺は会う度に彼女に対する興味や関心が積み上がって行くのを肌で感じている。