fainal2/2-37
森尾は、再び打席に入った。今度は、さっきよりバットを少し寝かせて構える。
キャッチャーは、森尾の見送り方に何か厭な雰囲気を感じ、唯一の変化球であるチェンジアップを要求した。
投じたボールは、バッターの手前で緩やかに沈んだ。しかし森尾は、まったく打つ気配もみせずに見送った。
キャッチャーは、もう一回チェンジアップを試すが、やはり通用しなかった。
間近にまでボールを引き寄せて、小さな振りで叩く準備をした森尾にとって、チェンジアップを見抜くのは雑作もないことだった。
これでニボール、一ストライク。沖浜中バッテリーは結局、真っ直ぐで勝負せざるを得ない状況を作ってしまった。
逆に青葉中の選手たちは、森尾の対応の仕方に、反撃の光明を見出だした。
「ボール!フォアボール」
ついに、先頭の森尾が塁に出た。打順は一番に返って乾だ。永井からは“待て”のサイン。ランナーを背負った場合のピッチングが、どう変るのかを見定めようというわけだ。
乾は左打席に立つと、森尾と同様に肩幅より広いスタンスを取って、バットのグリップを余らせた。
ピッチャーは、セットポジションに構える。これまでと違い、初めてランナーのプレッシャーを背中に浴びながらの投球だ。
ピッチャーの左足が上がった。今までの蹴りあげるような勢いはない。軸足の踵も、プレートに乗ったままだ。
体勢が低くなって左足が前方へと伸びていくが、スパイクが踏んだのは、窪みより半歩手前だった。
低いリリースポイントから投げたボールが、キャッチャーのミットを鳴らした。
乾は初球を見送った。印象は単に伸びのある真っ直ぐで、浮き上がってくるほどの威力は感じない。
(セットで、威力が落ちてる……)
ボールを受けたキャッチャーに不安がよぎる。盗塁を警戒してのクイックモーションは、ピッチャーのボールから勢いを奪っていた。
ここに、優れたピッチャーとそうでない者との差が生じる。優れたピッチャーは、クイックでも球勢の落ち幅はごくわずかであるが、そうでない者は極端に落ちてしまう。
これでは、チェンジアップの有効性も失われてしまう。キャッチャーは仕方なく、ボールを散らして打ち損じを狙う事にした。
こんな短慮が通じる相手でないのは分かっている。前の打席でエースに十球以上もの球数を費やさせ、マウンドから降りる主因となったのだから。
思った通り、前回同様にさんざん粘られた挙句、レフト前に運ばれてしまった。
「同点のランナーが出たぞ!」
三塁側のベンチとスタンドが一斉に沸き上がった。
ここまで再三に渡ってチャンスを得ながら、その全てが潰えてきた。だからこそ、今度は絶対だと、祈る思いで展開を刮目する。
ベンチの指示を見て、足立は打席へむかう歩みを止めた。
ニ点差の無死ニ塁、一塁で、永井のやろうとしてる事は、彼の予想を逸していた。
(本気かよ……)
指示は、三塁コーチャーの和田を通じてランナーである森尾と乾に伝えられた。
二人は了解しながら内心で不安を覚えた──無謀な賭けではないのかと。
「ここはバントで、直也と達也で勝負だな……」
けたたましい声援から隔離された部屋で、榊は独り言のように呟いた。
「だからこそ、難しいですね」
二人の意見は同じだ。
三塁側に転がしてサードに捕らせれば、よほどの強いゴロでない限りバントは成功する。逆にピッチャーやファースト正面だと、三塁アウトの確率が跳ね上がってしまう。
当然、沖浜中は阻止しようと躍起になってくる。それでも成功させるには、相当な技量が必要だ。
その点、足立の犠打の技量はチーム一。バントで間違いないと思った。