南風之宮にて 5-2
「俺ひとり奥に隠れていては兵士の士気が下がるだろうが」
運ばれながら王子は不服そうに口をとがらせた。
「俺が変化できるときならいくらでも。今はだめです」
淡々とした拒否に王子はなおもわめきちらしたが、アハトが本殿の屋上から奥側へ飛び降りると慌てて口を閉ざした。
着地の衝撃で舌を噛むと思ったのだ。アハトはそのまま走った。
本殿の背景となる峠の、中腹に整備された台地に奥の院はあった。
急な石階段を一足飛びに跳ね上って、奥の院の高台に着く。
斜面の終わり、鳥居の立つ崖に沿って、土嚢と木板が積み上げられていた。
その後ろに、運び込んだ油甕と武器がずらりと並んでいる。
岩を積んで敷かれた石階段の他には登り口はない。脇の急な斜面に取り付く方法はあるが、頭上から油や矢が飛んでくる環境での岩登りには、相応の覚悟が必要だ。
ここが最終的な防衛線になるのだろう。
アハトはうるさい王子をようやく地に降ろした。とたん、玉砂利の敷かれた前庭の向こうから、緊張した面持ちの王女が姿を現す。
「兄上!」
駆け寄ってきた王女は長いスカートの裾をつかみ、片手に剣を持っていた。
アハトも彼女の剣の技量は知っている。並の兵士に遅れをとる心配はないが、それ以前の問題として、彼女に剣を振るわせるような事態になってはおしまいだろう。
「姫」
彼は王子を故意に無視した。
「おおせに背きますが、少し離れることになるので……王子を表に出さぬように願います」
言外に、飛び出すようなら奥に縛り付けてでも、と告げると王女はしっかりと頷いた。
「わかりました。こちらは任せなさい」
承諾を聞いてそのまま背を向けようとしたアハトに、彼女は付け加えた。
「アハト。あなたも無理はしないのですよ」
「……はい」
静かに応えたと同時に、恐怖にかられた叫びが耳に入って、アハトは本殿を見下ろした。
整然と矢を射かけていた防衛線が崩れかけている。
炎も矢も意に介さずに、暗緑色の平たい甲殻に覆われた魔族が突進してきたのだ。
ぶよぶよとした芋虫様の無数の脚をうごめかせ、驚くべき速さで這いずってくる。
木柵に体当たりしてその一部を破ると、甲殻の下や継ぎ目のいたる所から、充血した肉色の触腕が伸び出した。
浮き足立つ親衛隊に襲いかかろうとする。
アハトは、手近の神官が持ち慣れぬ風に掲げていた槍を奪い取った。抗議も忘れて呆然とする神官をよそに、重い鉄槍を振りかぶり、遠く離れた本殿前へと投擲する。
ツミの膂力と降下の加速を得た槍は、切り裂くような唸りをたてて宙を走り、あやまたず魔族の甲殻に突き立った。
たまらず魔族は触腕に捕らえた獲物を放した。全身から金属の割れるような高い叫びを上げて身悶える。
「魔族……!」
神官たちの恐慌に混じって、王子の感嘆の声が聞こえた。
珍しいからと喜んでいる場合か、という内心のあきれをおくびにも出さず、アハトは静かに言った。
「魔族の相手は俺が。姫、あとは任せます」
王女の頷くのを確認して、アハトは斜面を飛び降りた。
なんで俺でなく妹に任せるんだ、という王子の文句は間に合わず、むなしく宙を舞った。