シャルロッティと、おとうさま-2
「…………あ、あれ?」
何も聴こえないし、地響きも感じない。
この家は錬金術ギルドのすぐ近くに建っているから、聴こえないはずはないのに……。
「ああ、そうそう。シャルが昨日、ギルドの実験室に仕込んだポップコーンには、この中和剤をすでに振り掛けてあります」
「お……とう……さま……?」
「ポップコーンのプールでも作るつもりでしたか?あれでは、あやうく王都が埋まるところでしたよ」
ポトンと床に落とされ、上を見上げると、父親はこのうえなく意地悪な笑みを浮べていた。
「全部知ってて、意地悪したの!?」
「約束を破ったあげくに、嘘をついた罰ですよ」
抗議はしれっと言い返された。
「なにしろ、僕は君の父親であると同時に師です。
君が規定の年齢に達するまで、作るものに対して監督責任がありますのでね。
それから……約束どおり、一週間の外出禁止です」
「いやああああ!!!」
真っ青になってシャルは抗議した。
「で、で、でも!でも!!夏なのよ!?バーグレイ商会の馬車だってくるのに!」
「遅くとも明後日には着くでしょうね」
「アンやロルフをがっかりさせちゃう!」
そもそも、遠くから来る双子の親友にとびきりの歓迎パーティーをしようと、ポップコーンのプールを思いついたのだ。
「ラインダース家は、我が家に1ヶ月滞在するでしょう」
「だって二人とも、夜になったら狼に変身して山に行くの、知ってるでしょう!?
私はルーディおじさんが背中に乗せてくれるって……」
「いい子にしていたら、謹慎開けはご自由に夏を満喫してかまいません」
「ひどぉい!!おとうさまの鬼っ!!悪魔ぁっ!!!」
「ルーディなら、僕がどれだけ厳しい師匠か、よく知っているはずですよ」
「う、うう……っ……だぁいっきらぁい!!!」
床にひっくり返って手足をジタバタさせるが、冷ややかに一瞥されただけだった。
「自業自得ですよ。これに懲りたら……」
突如、階下で何かが破裂したような爆音が轟いた。
キッチンの方から、母・サーフィの何かに埋もれているような悲鳴がかすかに響く。
「……シャルロッティ・エーベルハルト。説明していただけますか?」
ゆっくりと、氷河より冷たい声がシャルを呼ぶ。
「エ、エヘヘ……培養液の残りを少し、マシュマロにかけて戸棚の奥に入れたの……お皿いっぱいになるかと思ったけど……」
「確実に、キッチンがマシュマロで埋まっておりますよ」
「ポップコーンより効果が出る時間は、ちょっとだけ早いみたい……ね?」
「そのようですね……さすがは僕の娘です」
少々引きつった笑みを口はしに浮かべ、ヘルマンは薬のレシピを娘にほうる。
「必要な材料は棚に全てあります。十分で作って持ってきなさい」
「……おとうさまは?」
なんとなく返答はわかっていたが、スタスタ扉に向かう父親に尋ねる。
振り返ったヘルマンは、整いすぎるほど整った顔に、満面の笑みを浮べた。
「僕の愛する妻は比類なき女剣士ですが、大量に増殖し続けるマシュマロ相手は、分が悪いですからね。
夫の義務として助けに行かなくては」
「う〜!また自分ばっかりイイカッコするつもりね!」
転んでもただでは起きないとは、この人の為にある言葉だと思う。
実は、シャルが『やらかす』たび被害を被るのは、なぜかいつも母サーフィだった。
そして妻にベタ惚れしている父は毎回、ヒーローのごとく彼女を助け、一番イイ所をかっさらうのだ。
同じく夫にベタ惚れの母が、感激しないわけはない。
弟子の監督不行き届きと怒るどころか、父の株をさらにあげ、見ているほうが恥ずかしくなるくらいイチャついている。
「その通りですよ。僕は妻を心底愛しておりますのでね。
夫婦仲はさらに良くなるし、結構な事です」
ちゃっかり者の父は、ニヤリと口端に悪党の笑みをうかべる。
「もう!!」
ふてくされて頬を膨らませたが、どう考えても悪いのはシャルだ。
レシピにざっと目を通す。
オーケー。
組み合わせは奇抜だが、単純な調合だ。十分あれば作れる。
立ち上がった時、部屋を出る寸前の父親と、目があった。
冷たいアイスブルーの奥に、少しだけ温かな色が宿っている。
「シャルロッティ、もちろん君の事も、心から愛しておりますよ。
危険な目にあわせたくないと思うくらい」
「……私の事も?」
時々は反発しようと、シャルは父が好きだ。
外見は二十代の青年に見える父が、実は百六十年以上も生きている氷の魔人である事も、母は父の造ったホムンクルスである事も、知っている。
それから……どうしてか……親子だからだろうか?
知識では無く、感覚で知っているのだ。
いつも完璧で、人当りよくにこやかな父は、何かを愛するというのがとても苦手なのだと。
自身がどれほど優れた錬金術師であろうと、人も物も名誉も……父にとっては、全てどうでもいいのだ。
その例外中の例外が、母のサーフィと……
「ええ。君も僕の特別ですよ」
整った口元に、今度は柔らかい笑みが、かすかに浮かんでいる。
そして……
「――ですが、それとこれとは別の話です」
ビシッと、容赦ない判決が言い渡される。
「二週間、外出禁止!!!」