南風之宮にて 4-7
先刻首に押し当てられた武器が見当たらない。外套の中に隠しているのだろう。
彼は、相手の出方をはかろうと、牽制のつもりで一歩、踏み込んだ。
相手はその場からぴくりとも動かなかった。ただ、にい、と口の端が吊り上がった。
その瞬間エイは、闇の向こうがわずかに歪むのを確かに見たと思った。だが、歪んだ、と言葉で認識するよりも早く体は動いていた。後退し、顔を庇いながら身を低くする。
ぴり、と鋭い痛みが走った。
「これは……」
とっさに庇うように上げた左腕の、前腕部が浅く切り裂かれていた。鋭利な刃をあてられたかのように、袖もすっぱり切れている。
「魔族……?」
「そう。そう。そのとおりですよ、灰色の剣士」
ぱち、ぱち、と手を叩きながら彼は肯定した。
「お察しのとおり」
「魔族……でも」
エイは困惑を隠せず、眉を寄せた。
外套からのぞくかぎり人間と変わらぬ体格だ。
何より、話している言葉がわかる。意図を理解できるかはともかく、通じる言語を話していた。聞き取りやすい人間そのものの声と、訛りもない正常な発音で。
人型の魔族もいる……とはハヅルの言葉だった。たまには、そういう者もいる、と。
たまに、の頻度がどの程度かは知らないが、ハヅルの口振りからはかなり珍しいようにエイは受け取っていた。
「よく避けられました。見えておいでではないのでしょうに」
ねえ? と、低く滑らかな声音で、彼は語尾を甘ったるく上げた。
確かにその瞬間は視認したように思えたものの、“見えた”とはとても言えなかった。
わずかに歪んだと“感じた”だけだ。
しかしエイは見えない『力』に免疫があった。
アハトとハヅルの力を目にしてきた。そして、魔族の力は彼ら一族の使うそれほど広範囲には及ばず、発動には時間がかかるというハヅルの言葉も、ちゃんと覚えていた。
経験と忠告と、それから意識に上らないレベルで、彼自身の聴覚や視覚、皮膚感覚が『力』の形を漠然とではあるが捉えていた。研ぎ澄まされた反射神経が、それを感知して彼の体を動かす。
先刻の魔族との闘いでも、幾度か押し寄せる鈍い空気の波が彼の動きを妨げようとしたが、いっときもその場にとどまらない小さな人間を、その力は捕獲できなかったのだ。
ハヅルの言った通り、大したことはない……というのが彼の感想だった。
逃れようのなかったツミのアハトの力とはまるで違う。見えない武器がもうひと振りあるという程度のことだ。