南風之宮にて 4-2
彼はこの王女をそれほどよくは知らない。すれ違えば会釈くらいはするが、口をきいたのは数えるほどだ。
ハヅルから聞くかぎりの彼女の人となりは、王子に比べて格段に常識的で、しとやかで思いやりのある、世間知らずな深窓の姫君、だった。
少なくともこの状況で、けろりとした顔で減らず口をきくような人物ではない。
ハヅルは傍若無人な王子に付く彼に同情するが、実は彼女も自覚していないだけで、この王女相手に苦労しているのではないだろうか……
彼の脳裏には、『あの兄にして――』という格言がちらりと浮かんでいた。
王女とのやりとりの間に、王子は神官から、鳥の意匠の紋様が描かれた大きな紙筒を手に入れていた。
蓋を外すと、中には巻かれた一枚の紙が納められていた。彼はそれを抜き取ると、空筒をぽいと投げ出しながら、
「アハト、来い」
と、短く呼んで背を向けた。
追いついてきたアハトに、王子はこう訊いてきた。
「妹は何だって?」
「王子から離れるな、と」
王女の言葉を省略して答えると、王子は、ふん、と鼻を鳴らした。
「相変わらず心配性だな」
つまらなそうな口調ではあったが、夜目のきくアハトは、王子の口の端に浮かぶ満足げな笑みに気付いていた。
この王子は、美しい妹姫のことをひどく自慢に思っていて、彼女に心配されたりたしなめられたりやんわり叱られたり……とにかく構われるのが楽しいらしいのだ。
係累のいないアハトには理解できない感覚だ。
もっとも、一般的な感情なのかどうかも不明である。何となくハヅルにそのことを話したとき、彼女は気持ち悪そうに王子を変人呼ばわりしていた。
ハヅルにしても、祖父の他に家族はいないので、あてになるものではないのだが。
王子は本殿を出て、北側の小さな社の前に立ち止まった。
小さな、とはいえ一軒家程度の規模はある。
建国の祖神の持物とそれに宿る神を祀るために設えられ、格式高く、拝殿も備えた立派な社だ。神事を控えて飾りものや敷物も新調されている。
普段は神官しか立ち入れない石の戸に、王子は躊躇いもなく手をかけた。それもガタガタと乱暴に。
「建て付けが悪いな」
「で、殿下、もう少しお優しく……」
年長の親衛隊士が慌てて止めにかかった。
が、遅すぎた。王子は粗忽にも、石の引き戸を片方ガタンと外して中に侵入したのだ。
「そう悠長なことでは困るぞ」
不敬の数々に親衛隊の面々が目を剥いたが、王子は平然としたものだ。
「神殿というのはな、非常時には民間の避難所になるようになっているんだ。お優しくしていたら間に合わん事態もあるだろうに」
拝殿に一歩入った彼は、眉をひそめて、狭いな、とひとりごちた。
「アハト、一人で入って来い」
王子は外に向かってそう叫ぶと、拝殿の敷物を一部引き剥がした。