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月虹に谺す声
【ホラー その他小説】

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月虹に谺す声-4

 結局、二人は食事もとらずに夜が更けるまでじっと抱き合っていた。永劫に続く甘美な時間かと思われたが、月郎の腕を痛いほど握りしめていた郁子の手が緩み、ふと気が付くとあれほど興奮していた郁子は、何時しか憑きものにでも取り憑かれたように心あらずと言った様子で立ち上がった。
 姉ほどではないが、時期が来たことを月郎も理解していた。月が昇るに従って耳鳴りがし始め、耳の奥で何か、誰か大勢の人間が囁いているように聞こえたからだ。それが言葉なのかどうかは別として、囁きは大きくなり、月郎を呼んでいた。
 やがて二人は音もなく屋敷を出ると、月を背にして山へと向かった。夜の町は静まり返り、遠くで山犬の吠える声だけが響いていた。
 月郎はひたひたと夜道を歩きながら、奇妙な高揚感に包まれていた。暗がりで判然としなかったが、郁子も同じような気分なのだろう。
 月に照らされた町はまるで作り物のように鎮座していた。月明かりで明るくはあったが生気はなく、羽虫がたかり、明滅する街灯だけが奇妙な存在感を持っていた。
 やがて、町を抜けると二人は山の中へと分け入った。夜道に目が慣れたのか、それとも月明かりが足下を照らしてくれているからなのか、山道に入っても二人の歩く速度はさほど変わらなかった。
 しかし、何処かで門の存在が近いと感じられると、二人は次第に足早になり、何時しか道を外れ、木々の間を進んでいた。
 やがて、目的の場所はもうすぐだと、そう感じられた時、目の前に一人の老人が現れた。
「門に呼ばれているのはあんたらかい…」
 二人の姿を、上から下からまで舐め回すように見つめると、謎の老人はそう呟いた。梳られたことの無いような絡み合った白髪が目深に顔を覆い、その奥から碧色の光が覗いている。薄汚れた背広を着て、元は身なりが良かったろうが、今は日焼けと溜まった垢で肌は赤黒く、側に近付くとすえた悪臭が鼻を突く。
「あなたは?」
 眉をひそめ、訝しげな表情で質す郁子。
 しかし、老人はその問い掛けには応えなかった。
「そちらのお嬢ちゃんは以前、母親を追いかけていた子じゃな…?」
「私のことを知っているの?」
「ああ、門に呼ばれたのでもなかったので、そのまま山の中に取り残されてしまったんじゃろ。今度は母親に会えるといいのぉ」
「別に私は母さんに会いたくて此処に来た訳じゃないわ」
「ふむ、そうじゃろう…。そんな奴は門に呼ばれたりはせんからの。ま、引き留めて悪かったな。早く行かんと門をくぐれなくなるぞ。儂みたいな落ちこぼれにならんように、気をつけるんじゃな…」
 老人はそう言い残すと、闇の中へ消えてしまった。不思議な老人で、二人はその老人が残した言葉が気になったが、今は門の方が大事なので、二人は怪訝な表情を浮かべながらも道を急いだ。
 すると、やがて目の前が開け、白い虹の下に巨大な狼の門が現れた。

 狼の門は月郎の倍ほどの高さで精緻な唐草や狼や人の姿が浮き彫りとして彫られており、それらの彫刻は欠け、ひび割れ、苔生していた。しかし、現世と幽界とに同時に存在するそれは威圧感を持ち、月虹に白く照らし出されるその姿は畏怖の念さえ抱かせた。
その為、門が近付くに連れ、郁子と月郎は緊張に足が震えた。恐れを抱く人間の本能と、門の向こうの世界を渇望する獣の心が相反する感情となって二人の心に去来する。脂汗が滲み出し、喉の水分が枯渇し、自分の鼓動だけが血管を流れる血潮の音と共にやけに耳に響いた。
 二人が近付くと、門の周囲にいた狼達が耳を起こし、新参者に注意を向ける。そのうちの一匹が立ち上がり、碧色に燃える瞳で月郎達を窺うと、やがて頭の中に直接話しかけてきた。
『オ前達ガ門ヲ望ンダ者達カ…』
 突然のことに月郎達は戸惑ったが、門番は意に介さずに続ける。
『コノ門ハ黄泉津国、根ノ国ヘト通ジテイル。ソシテソノ向コウニハ我等神族ノ裔ガ暮ラス隠世ガ存在スル。ソノ国ヘ行キタクバ門ヲクグルガヨイ。大口ノ真神タル我等ノ眷属ナラバソノ資格ガアル。シカシ、人ナル物ヲ捨テラレヌ者ハコノ門ノ向コウニハ行ケヌ。人ヲ捨テラレヌ者ハ門ガ拒ムデアロウ。ソノ覚悟ガアルノナラ門ヲクグレ。大イナル真神ノ子等ヨ…』
 門番の言葉と共に門は蝶番を軋ませることなく静かに開き、その向こうからは白い光が溢れ出た。
 “人なる物”を捨てる覚悟と言われ、郁子は我が意を得たりと頷き、そして開き始めた門の中へと飛び込んだ。
 月郎はやや逡巡したが、それでも彼が望むのは郁子の存在する世界なので、彼もまた溢れ出した光の中へと飛び込んだ。
 光の中へ飛び込んだ月郎は声にならない悲鳴を上げて苦しんだ。筋肉が膨張し、骨が軋み、体の奥深くにある獣毛の塊がむくむくと大きくなり、外へ飛び出そうと喉を圧迫したからだ。見ると、先に飛び込んだ郁子も苦しんでいた。
 郁子の体も膨張と収縮を繰り返し、その繰り返す変化の中で彼女は次第に白く輝く大きな狼へと姿を変えた。
 恐らく月郎の体も同様の変化を起こしているのであろう、自分の手を見ると銀色の体毛が覆い、黒光りする長い爪が苦しみのあまり空を引っ掻いていた。
 やがて頭の中で白い光が大きくなり、意識を優しく包み込むと、月郎の視界は白くぼやけ、やがて彼は意識を失った。


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