お茶の時間-1
ビスケットの壁にキャンディーの柱、窓は氷砂糖。チョコレート瓦の屋根は、クリームで縁取られている。
素敵なお菓子の家……むしろ館という表現が相応しい豪華な三階建ての建物だ。
しかし、周囲にはミルクのような濃霧が一年中たちこめ、昼夜すらおぼつかない。
だからこの魅惑の館は、誰の目に触れる事もなく、ひっそりと森の奥に建っていた。
お菓子の館は、中身もその名に相応しい。
滑らかなこげ茶色の扉は上質なチョコレートだし、家具も全てお菓子だ。
クッキーのチェストにマカロンのテーブルセット。パウンドケーキのソファーには、ふかふかしたマシュマロのクッションが置かれている。
お菓子で出来ていないのはたった一つ。
広い居間にある、蓋にしっかり鍵をかけた大きなグランドピアノだけ。
「悪魔!!今日こそ、お兄ちゃんの身体を返してもらうわよ!!」
カモフラージュにかぶっていたカステラを跳ね除け、グレーテルは悪魔に飛び掛る。
胸も腰も未発達な幼女体型で、背も低く、愛くるしい顔立ちは幼さが残っているどころか、てんで幼い。
霧のように白い髪は長いツインテールに結われ、黒い絹リボンが飾られている。
フリルたっぷりのドレスも、喪服のような漆黒だ。可愛らしい靴も黒で、膝たけのスカートから見えるソックスだけは白。
白黒で構築された少女の向かう先は、ピアノの脇でマカロンの椅子に腰掛け、ハーブティーを片手にクッキーを摘んでいる少年だ。
グレーテルとそっくりな真っ白の髪で、繊細な顔立ちはグレーテルととてもよく似ている。
身につけているのも、やはり喪服のように真っ黒な正装だ。ただし胸元には、ロザリオの替わりに金の鍵をぶら下げている。
彼・ヘンゼルは、実際はグレーテルの双子の兄だが、はたから見れば、せいぜい5歳違いの兄妹だろう。
しかし、そんな些細な事をつべこべ言ってられる余裕は、グレーテルにはなかった。
目の前にいるのは、兄の身体を乗っ取った悪魔『ピアニスト』なのだから。
貧しい家庭で、口減らしに両親から捨てられた双子は、さまよった森の奥でお菓子の館を見つけ、大喜びで飛びついた。
――そして、この家の主『ピアニスト』に、ヘンゼルの身体を乗っ取られてしまったのだ。
「グレーテル、襲撃するならお茶の時間は避けてくれって、言っただろ?」
お茶がこぼれないよう、ひょいひょい器用にグレーテルをかわしながら、ピアニストは口を尖らせる。
「はぁっ……はぁ……この家じゃ、いつだってお茶の時間じゃない」
息をきらせて床へ座り込んだグレーテルが、悔しそうに金の鍵を睨む。
あの鍵があれば……ピアノの蓋を開けて弾く事が出来れば、『呪いは解ける』のに!
「ここはお菓子の家なんだから、いつもお茶の時間で正しいんだよ」
兄の顔をした悪魔は、マカロンテーブルの端っこを少し摘みとって口に放り込んだ。
「頭が変になりそうだわ。霧のせいで昼か夜かもわからないし」
濃いミルク色の霧で、窓は常に真っ白く覆われている。
部屋が明るいのは、氷砂糖の美しいシャンデリアが輝くおかげだ。
「変化が欲しいなら、灯りの色を変えようか?」
ピアニストが指を鳴らすと、シャンデリアは瞬く間にカラフルなキャンディーへと変わり、ひとりでにクルクル回転しだした。
無数の色がついた光が、部屋の中へにぎやかに乱反射する。
「やめてやめて!!余計に頭がおかしくなる!!」
手を振ってわめくと、シャンデリアはあっというまに元へ戻った。
「気に入らなかった?」
ピアニストが悲しそうに尋ねる。
「グレーテル、美味しいお菓子を一緒に食べようよ。大好きだろ?」
パイにケーキにマフィンにプレッツェル。テーブルの上には、お菓子があふれる。
不意に、ピアニストは何か思い出したように手を叩いた。
「ああ、これを見せるの忘れてた!!僕が作った、最高に素敵なプレゼントがあるよ!」
「プレゼント?」
尋ね返しながら、隙を狙って素早く鍵へ手をのばしたけれど、スルリとかわされてしまった。
ピアニストのしなやかな細い指が、また軽快に鳴る。
「さ、どーぞ」
居間の中央に忽然と現れた物体を、ピアニストが満面の笑みで指した。
「……は?」
そこにあったのは、半透明の白い飴細工でできた等身大グレーテルの彫像。
睫の一本まで再現した緻密で精巧なできばえは、まさしく職人技の美しさだった……が、
「なんで裸なのよ!!この、ド変態ぃぃ!!!」
真っ赤になったグレーテルは、怒りの咆哮とともに彫像へ飛び蹴りを食らわす。飴のグレーテルは、あわれ首と腰とからボキンと折れ、床に転がった。
「あーーーーっっ!!!!!!」
頬に両手をあて、ピアニストが絶叫する。
「これは芸術なんだから!気にしないでくれよ!」
「気にするわよ!!」
「……大丈夫だって、グレーテル」
気を取り直したらしいピアニストが、励ますように優しい笑みを浮べた。
「ツルペタの胸だって、僕は大好きだ!愛してるよ!!」
投げつけられた飴細工の頭部が、その顔にゴチンとぶつかった。