淫らなふたりを見つめる目-1
睡眠不足で頭痛がひどい。コンタクトレンズを入れた目が乾燥して悲鳴をあげる。胃が痛む。それでも仕事内容はいつもと何ら変わらない。
保護者からの電話が鳴り始め、アポイントのない懇談希望者や来客が続き、マヤは機械作業のようにそれらを右から左へとさばいていく。10分で終わる懇談もあれば1時間以上も子供たちの学習状況と直接関係の無い話ばかりを続けて帰る母親もいる。無意識に話し相手を求めている。声にならない声で『寂しい』と訴えている。母親たちの心の中を思ううちに、いつのまにか自分の気持ちをそこに投影していることに気付く。寂しいのかと問われれば、決してそうではないと答えるだろう。でも……思いが定まらない。何もかもがよくわからなくなる。脳内を木の棒か何かで無造作にかき混ぜられたように。
「先生……、ねえ、先生?」
アルバイト講師の田宮が心配そうな表情でマヤを見つめている。いつのまにか授業が始まる時間になっていた。生徒と講師たちの楽しげな声が、教室いっぱいに満ちている。
「ああ、ごめんなさい……少しぼんやりしていて……」
「なんだか先生、一昨日あたりからすごく疲れてるみたいね。でも頑張って、この教室、先生がいなくちゃどうしようもないんだから」
パン、と強く背中を叩かれた。目が覚めたような気がする。お客さんよ、と言って田宮がドア付近に立っていた人物を案内してくる。生徒の母親。来客にすら気がつかなかったなんて……こんなことではいけない。
「お待たせして申し訳ございません、さあ、どうぞこちらへ」
「いえ、こちらこそ急に来てしまって。先生、お忙しいのに……」
「ユタカくんの件ですよね? ずっと気にはなっていたんです。その後、ご様子はいかがですか?」
顔色の悪い母親がやっと腰を下ろす。高辻ユタカの母親。ユタカは今年、中学2年になるはずだ。有名私立中学の入試に合格したものの、その学習スピードについていけなくなり、1年の終わりには地元の公立中学に編入した。
ところが、編入してすぐにひどいいじめに遭うようになった。小学校のときにユタカが散々まわりに「俺は頭が良いからおまえらとは違うんだ」「おまえらみたいな馬鹿が行くような学校には行かない」と吹聴していたことが原因だった。
音楽で使う笛や体育館シューズを誰かに隠されるというようなことから始まり、黒板に名指しで「馬鹿」「しね」などの落書きをされたり、机の中にゴミや虫の死骸を詰め込まれたり。やがてクラスメート全員から公然と無視をされるようになり、2年生の夏休みが始まる前あたりからは学校に通えなくなってしまった。
マヤが初めてユタカに会ったのは今年の5月だった。学校を休みがちになったユタカを心配して、母親が個別の塾ならまわりを気にせずに通えるだろうと考えて連れてきたのだ。
運動をしていないせいか肌の色が青白くぽっちゃりとした体型で、子供たち特有の元気さや愛らしさが微塵もない。母親のことも、マヤのことも、まわりにいる自分以外のすべての人間を見下したような目。マヤからの問いかけに対して、鼻で笑うような傲慢な態度。実際に公立中学でのテストの成績だけを見ると、ほとんどの科目が満点だった。